ローラ・ダーンが語る、デヴィッド・リンチと超越瞑想の体験

デヴィッド・リンチといえば、独創的で少し不思議な映画の世界を思い浮かべる方も多いかもしれません。その一方で、彼は長年にわたって超越瞑想を実践し、内なる静けさと創造性のつながりを大切にしてきた人でもありました。

デヴィッド・リンチ財団が制作した動画のなかで女優ローラ・ダーンは、リンチ監督との出会いや撮影現場での思い出、そして彼から学んだ超越瞑想の魅力について語っています。

デヴィッド・リンチとの出会い

私はこれまで、デヴィッドを知り、愛し、大人になってからの人生を彼とともに過ごすという、かけがえのない幸運に恵まれした。そして彼は、想像し得るあらゆる職業の人々に刺激を与えた、ただ一人の芸術家です。

興味深いことに、デヴィッドと私が初めて会ったのは、『ブルーベルベット』のキャスティング・ディレクターのオフィスでした。当時、私は17歳でした。

それまで経験した映画の顔合わせやオーディションとはまったく違っていて、私が部屋に入ると、私たちはほとんどすぐに超越瞑想について話し始めたのです。

どうしてその話題になったのかは覚えていません。でも彼が、『ブルーベルベット』の登場人物であるサンディについて話していたとき、彼女は目に見える現実を超えた何かを信じる深い心を象徴していたのだと思います。

彼自身は一度もそう言ったことはありません。しかし、私が人生において何らかの精神的な実践へと導かれていたことや、意識に関心をもっていたことが、ある意味、彼にとって重要だったのだと思います。

私はそのことを何も知らないまま、彼との会話のなかで、母が歩んできた道について話しました。母はいつも精神的な探求に惹かれていて、私が8歳のときに瞑想のプログラムへと連れていってくれました。瞑想を学んだのは、それが初めてでした。

ただ、超越瞑想を通してマントラを授かったのは、18歳か19歳のときです。たしか19歳だったと思いますが、私はそれ以前から、ずっと瞑想に親しんでいました。

ですから、彼と瞑想について話せたのは、本当にすばらしいことでした。瞑想について、夢について、園芸について、庭について、私たちは話しました。

だいたいそれが、私たちが初めて会ったときの話題でした。でも私は、彼のことを知っている、と感じていました。本当に彼を知っている、と。

言うまでもなく、彼の言葉と、超越瞑想の実践に対する彼の深い理解は、非常に大きな影響を私に与えました。

私は彼の言葉を直接引用するのは好きですが、彼に代わって何かを語ろうとは思いません。ただ、彼の言葉が私に深い影響を与えた、というだけです。

デヴィッドに出会う前、私にとって演技は、瞑想以外に、自分の内側の自己とつながる最も確かな手段でした。

私の人生において、母とデヴィッドの二人は、芸術、自分の声、そして、そこから生まれる社会的な行動、愛、精神的な実践を、決して切り離さなかった人達だと思います。

デヴィッドが作品を通して私たちに示したように、それは決して押しつけがましいものではありませんでした。彼は決して説教をしませんでした。

彼はただ、無意識のなかで発見したものを、そのまま生きていたのです。

彼が映画のなかで探究したもの──暴力、傷つきやすさ、混乱、性も、その場所から生まれていました。それらは、無意識にある、非常に純粋な芸術的空間から出てきたものです。

それこそが、これまでずっと人々を鼓舞し、今も鼓舞し続けているものです。そしてこれからも永遠に、世界中のさまざまな道を歩む芸術家たちに、根底から大きな刺激を与え続けるでしょう。

本当に信じられないほどです。もちろん、彼が仲間の映画制作者たちにとってどのような存在だったのか、私は何度も耳にしてきました。

デヴィッドと仕事をした多くの音楽家たちも、彼からどれほど刺激を受けたかを語っています。ラフ・シモンズも、デヴィッドから受けたインスピレーションについて、とても美しく語っています。あらゆる分野の芸術家、あらゆる技術に携わる人々にまで影響を与えたというのは、驚くべきことです。

つまり、芸術はあの人によって、永遠に変えられたのです。

無意識から生まれる芸術

『インランド・エンパイア』は、デヴィッドが私たちに伝えていた多くのこととともに、映画史に記憶されるでしょう。あの作品には、超越についての映画を作るという、彼の強い決意があったのだと思います。

当時、映画会社がどのようにアカデミー賞のキャンペーンを展開しているかについて、彼は耳にしていました。

そして、あるすばらしい映画監督の作品で、見事な演技をした女優のために、映画会社が賞のキャンペーン広告に300万ドルを費やしたという話を聞いたのです。

それは、ソーシャルメディアが活用される前のことでした。そのような発想は、まだ時代の空気のなかにはありませんでした。

ほかの誰かがその到来を予見していたかどうかは分かりません。でも、デヴィッドには見えていたのです。

そして彼は言いました。「映画会社にお金を出してもらう必要はない。僕たち自身でできるよ」と。

私と、『ブルーベルベット』以来ずっと私の広報を担当してくれていたアネット・ウルフは、「それは無理でしょう。人々に映画を見つけてもらうには、やはり報道関係者の協力が必要だと思うわ」といった反応をしました。

それはもともと、非常に小規模なインディペンデント映画としての試みだったのです。

彼が最初に言ったのは、こういうことでした。「いや、アネット。みんなに一斉メールを送るんだ。私たちはマリー・カレンダーズでコーヒーとパイを用意している。映画について話したい人がいたら、誰でも来てください、と伝えればいい」

そこで私たちは一定の時間帯を知らせました。すると、従来型の記者向け取材会の代わりに、すべてのジャーナリストがそこへ来てくれたのです。

私たちが行くと、そこには14種類ほどのパイとコーヒーがあり、ジャーナリストたちとの正式な円卓形式の取材会のようなものを行いました。それはすばらしいものでした。

誰もが心から楽しい時間を過ごしました。映画について語る方法として、本当にすばらしいものでした。

その後、賞のことを話していたとき、キャンペーンにどれほどのお金が使われているのかを聞いて、彼は本当に憤慨していました。

彼は言いました。「女優一人が賞をとるためのキャンペーン費用で、僕たちが何本映画を作れるか分かるかい」と。

そのお金があれば、『インランド・エンパイア』を10本作ることができる、と彼は気づいたのです。それで彼は、「こんなのは正気じゃない」と言いました。

さらに彼は言いました。「僕が方法を見つけてみせる。そして彼らに見せてやるよ。これから人々は、映画や俳優の演技を宣伝するために、ソーシャルメディアを使うようになるのだから」と。

そして、あるとき友人から電話がかかってきて、こう言われました。「大変よ、ローラ。二人の男の人が、デヴィッドの映像をYouTubeに投稿したって聞いた? デヴィッドがハリウッド大通りで、牛にリードをつけて立っているのよ」。

私は「何を言っているの? どうかしているわ。それはデヴィッドじゃないでしょう」と答えました。

すると友人は言いました。「いいえ、違うの。本当にデヴィッドよ。ハリウッド大通りとラ・ブレアの角で、監督用の椅子に座っているの。牛にリードをつけて、あなたの顔写真と『ご検討ください』と書かれたポスターを掲げているのよ」。

あれは、最高のパフォーマンス・アートでした。

あの行動によって、あらゆる情報をどのように広めるかについて、まったく新しい根本的に独創的な方法が切り開かれたのです。

けれども、ご存知のように、『インランド・エンパイア』が公開されたときも、『ブルーベルベット』が公開されたときも、彼の他のすべての映画が公開されたときも、人々がその概念に追いつくまでに、10年ほどかかることさえありました。

静寂がもたらす創造の空間

そして、もしデヴィッドが今ここにいたなら、彼はきっと「超越瞑想の実践が、こうしたすべての作品の深い部分を成している」と言うのではないかしら。

なぜなら彼の頭のなかには、こうしたアイデアを聴き取り、直感を感じ取るための、十分な空間があったからです。

一日のうちに私たちの頭を満たしてしまう、不安や苛立ち、エゴの泥沼に巻き込まれずにいられる空間があったのです。

一日2回、20分ずつであっても、少しの空間をもつことです。

それが、彼がまったく新しい創造へと至る道を見いだせた、大きな要因の一つだったと思います。

デヴィッドは友人から超越瞑想を勧められたようです。超越瞑想について、これまで自分が受けたなかで最高の助言をその友人からもらったと話してくれました。

デヴィッドは「よく分からないな。どんなものなのか説明してくれないか」と言ったそうです。

するとその友人は、デヴィッドにこう言いました。「説明することなんて何もない。ただ座って、『どうなるか分からないけれど、とにかく20分やってみよう』と思えばいいんだ」

そして、この考え方は、自分自身とつながるために、誰かの説明や導きが必要だと思い込んでいる私たちの考えを超えています。

自分自身を知るために、誰かに導いてもらわなければならないというのは、おかしなことです。大切なのは、自分の内側へと向かうことだけです。

つまり、煙草を吸い、黒い服に白いシャツとカーゴパンツを身につけた映画監督は、そのことを私に思い出させてくれる、完璧な案内役でした。

なぜなら彼は、物語や人間性、根本的な思考、意識とは何かという問いのなかに、真実を見いだそうと切望している人だったからです。

より高次の力を求めている人は、自分の内側を深く見つめて理解を得ようとするのではなく、外側にその答えを探しています。

だからこそ、自分自身を知ることは心躍らせるものなのです。

デヴィッドが超越瞑想について語り始めたころ、1986年の『ブルーベルベット』の取材などでも、彼は超越瞑想の話を持ち出していました。

すると、ジャーナリストや周りの人々は、「デヴィッド・リンチは、いつも瞑想の話をしている」と言い、まるで瞑想が現実離れした奇妙な概念であるかのように反応しているのが分かりました。

けれども今では、心臓外科医や、中学校の教師や、メンタルヘルスの専門家たちが、瞑想について語っています。

非常に多くの医師や専門家が、患者や、心的外傷後ストレス障害を抱える退役軍人、家庭内暴力を経験した子どもたち、刑務所の受刑者たちに瞑想を勧めています。

今では瞑想は、普通に語られる話題になっています。

デヴィッド・リンチ財団をはじめ、多くの人々が、瞑想に対する偏見をなくすために行ってきた活動は、本当にすばらしいものです。デヴィッドも、そのことを強く訴え続けてきました。

瞑想は何か奇妙な概念なのではありません。「何も起こらなくてもいい。とにかく20分やってみよう」と座り、静けさのなかへ入っていくものです。

それは、不安を和らげるためかもしれません。プロのスポーツ選手にとっては、より高いパフォーマンスを発揮するためかもしれません。

創作活動をする人にとっては、より深い理解を得るためかもしれません。絵を描こうとするときや、映画を作ろうとするとき、数多くの声が騒がしく響くなかで、自分自身の声を聴くためにです。あるいは、深い精神的な理解を得るためかもしれません。

私は、瞑想の実践によって深い癒やしを見いだした人々を数多く目にしました。それは、かけがえのない贈り物です。

今この瞬間を生きる

──1人の人間としての彼との日常生活は、どのようなものだったのでしょうか。

そうですね。デヴィッドと私は、いろいろな習慣を共有していましたが、私たちは物事を決まった形で行うことが、本当に好きでした。

カプチーノを飲むために会う時間がありましたし、祝日の時期には、特別な決まりごとがありました。

お互いの誕生日には決まって行う特別なことがあり、まるで家族のようでした。

私たちは、子どもたちが成長していく時間をともに分かち合い、カプチーノの淹れ方から瞑想の仕方まで、あらゆることを子どもたちに教えるという習慣も共有していました。

私の大好きな思い出の一つは、彼が娘のジアのために、悟りについての図を描き、超越瞑想が何をもたらすのか、その過程を説明してくれたことです。

彼は、あらゆることを分かりやすく解きほぐして説明する人でした。彼はすばらしい教師でした。そして、すばらしい導き手でした。

だからこそ彼は、俳優の力を引き出す、すばらしい監督でした。また、自分が何を求めているのかをスタッフに伝えることにも長けていました。

彼はいつも、これまでとは違う表現の境地を目指していました。もっと深く、もっと明確なところまで行こうと、いつも語っていたのです。

彼は友人として、本当に美しい在り方で、いつもそこにいてくれました。そして彼は最高におかしな人でした。ですから、一緒に過ごす時間はいつも愉快で、私たちはいつも笑っていました。

カイルが、瞑想の時間にはドアをノックしてはいけない、という話をしていましたね。それは、とても大切な決まりでした。

でも、デヴィッドの考え方を最もよく表しているのは、「何も起こらなくてもいい。とにかく20分やってみよう」という言葉だと思います。これは、デヴィッドの言葉のなかで、私がいちばん好きなものです。

この言葉は、本当に人を鼓舞するものだと思います。私は実際に、ロサンゼルス・レイカーズの選手であれ、映画撮影現場の監督であれ、さまざまな人を見てきました。

デヴィッドは、なぜ超越瞑想がその人に役立つのかを、いつも説得力をもって語っていました。そして彼は、いつも正しかったのです。なぜなら、静けさのなかに入り、自分自身をより深く知ることは、すべての人にとって役立つことだからです。

デヴィッドから受けた大好きな教えを思い出させてくれた、ある瞬間があります。その教えは、私にとって瞑想にも当てはまるものです。それは、『インランド・エンパイア』の撮影準備をしいたときのことでした。

『インランド・エンパイア』は、それまで私たちが一緒に作ってきた映画とは違い、決まった物語を順番に撮影していく作品ではありませんでした。完成した脚本がなく、何年もかけて少しずつ作り上げていった作品です。

私が撮影現場に行っても、理解すべき具体的な場面は用意されていませんでした。私は、その映画で演じた複数の登場人物の一人、路上で暮らしながら非常に苦しい状況にある女性の衣装を着ていました。午後の真ん中に、キャバレーのような場所へ入り、部屋のなかで女性が踊っている間、テーブルに座ることになっていました。

彼はカメラを設置して、「さあ、始めよう。準備するよ」と言いました。その瞬間、彼は私のところへ歩いてきて、私の手に一本のドライバーを置きました。古く、すり減り、汚れたドライバーでした。そして彼は、「よし、カメラは回っている」と言いました。

彼が始めようとした直前、私は言いました。「ちょっと待って。大丈夫よ。どこへ行くのかも、何をするのかも分かっている。でも、一つだけ質問があるの」

すると彼は、「どうしてもしなければならないのならね」と言いました。彼は私のところへ歩いてきて、「何だい? もう準備はできているんだよ」と言いました。

それで私は言いました。「ただ、ちょっと気になって。もちろん私は今この瞬間のなかにいるわ。ちゃんとこの瞬間にいる。でも、どうして私はドライバーを持っているの?」

すると彼は私を見て、こう言いました。「そんなにたくさん質問するのは、やめなさい」。それが、デヴィッド・リンチから教わった大好きな教えです。つまり、ただ質問から抜け出すのです。

私は超越瞑想について人々と話してきましたから、彼らの気持ちもよく分かります。「瞑想を始めたいとは思っていたけれど、今は本当に大変な時期だから」と言う人もいます。あるいは、「それは宗教なのですか。よく分かりません」と言う人もいます。あるいは、「本当に自分に合っているのか分からないので、試すべきかどうか迷っています」と言う人もいます。

でも、そんなにたくさん質問するのは、やめましょう。ただ試してみればいいのです。「何も起こらなくてもいい。とにかく20分やってみよう」。それで私たちに何の害があるでしょうか。

そしてそれは、芸術においても、子育てにおいても、デヴィッドが私に与えてくれた最高の教えでした。私は、「どうしよう。二人目の子どもが生まれるけれど、本当にこれでいいのか、誰かに聞いたほうがいいかしら」といったことを言っていました。すると彼は、「うまくいくよ。ただその子を愛するんだ。そうすれば、どうすればいいか分かるようになる」と言うのです。

そのための準備というものはありません。私たちは、今この瞬間を生きるために、ここにいるのです。超越瞑想は、私たちを今この瞬間へと連れ戻してくれる、最も素晴らしい実践です。

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