アフリカの南東部にあるモザンビーク共和国は、アフリカのなかで奇跡的な発展を遂げた国として知られる。1992年には、20年間続いていた内戦が終結し、新政府を発足したが、深刻な干ばつの影響と政情の不安定さが予想され、連合軍が派遣された(日本からも自衛隊が海外派遣された)。大方の予想では、先行きが見えず、復興には時間がかかると見られていた。
ところが、実際には、紛争が沈静化し、破壊的な干ばつが収まり、それまで年平均マイナス0.1%だった経済成長率が、その後10年間で7%にまで上昇した。これはアフリカ全土の平均2.8%を大きく上回り、東アジアの7.6%に匹敵した。こうした驚くべき経済発展は、「モザンビークの奇跡」と呼ばれ、アフリカ情勢の研究者は、このモザンビークの奇跡的な復興から学ぼうと、その要因を調査している。
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モザンビークの奇跡は、なぜ起きたのか?
モザンビークが発展を遂げた理由は、いくつか挙げられている。しかし、そのなかであまり知られていない事実がある。それは、ちょうど内戦の終結直後に、当時のモザンビーク共和国のシサノ大統領が超越瞑想を国家導入していたことだ。
シサノ大統領は、1992年に政府に超越瞑想とその上級のプログラム、TMシディを導入し、翌年には陸・海・空軍の部隊へと拡大していった。各都市に駐屯していた1万5,000人の軍人が、これらプログラムを実践すると、内戦終結後に危ぶまれていた政情不安も安定し、5年間続いていた干ばつがなくなった。他にも犯罪率が20%減少し、また交通事故での死者数も減少した。
シサノ大統領は、これらの功績によって、母国に平和と発展を実現した政治家として国際社会からも認められ、引退後の2007年には、アフリカの優れた指導者へ贈られる「モ・イブラヒム賞」の第一回受賞者となった。
当時のニューヨーク・タイムズ(1993年2月22日)は、次のように報道している。
「モザンビークがアフリカの成功物語の候補国として台頭してくるとは、誰も予測していなかった。……モザンビークは過酷な日照り続きで、第二のソマリアとして国際的な救援の必要性が訴えられていた。その日照りが、大地をうるおす雨で終わり、今では穀物が国中に豊かに実っている。
『私たちは平和と雨の両方に恵まれました。これはモザンビークで25年ぶりのことです。』と、CARE*の救援物資配送の現地担当者も驚いていた。」
※CARE:途上国の民衆への救済活動を行う国際的民間団体
プロジェクトは、どのように始まったのか?
1993年7月3日、オランダのフロドロップにあるマハリシ・ヴェーダ大学を訪れていたシサノ大統領は、モザンビークで起こっている一連の良い出来事はすべて、マハリシの意識のテクノロジーのおかげであると話した。そして、どのようにしてモザンビークで超越瞑想のプロジェクトが始まり、このような結果が得られたのかを次のように語った。
「最初に私と妻が超越瞑想を学び、それを家族や親戚のみんなに紹介しました。その次に、大臣とその婦人たちも瞑想を始めました。
超越瞑想は、心に平和を体にリラクゼーションを与えてくれると私はみんなに話しました。みんなが瞑想を始めてこれらの効果を経験した後で、私はさらに、多くの人たちが超越瞑想を行えば社会に調和が生み出されることや、天候さえも改善されると説明しました。そして、実際にその通りになったのです。」
懇談するシサノ大統領とマハリシ
モザンビーク共和国の軍司令官、トビアス・ダイ中将は、超越瞑想の導入に至る経緯を詳細に報告している。
「モザンビークは、過去16年にわたった戦争期間の後、1992年10月、ローマで一般和平協定に調印しました。人命と物的財産の面での損害は非常に大きく、わが国はきわめて不安定な状況に陥りました。
一般和平協定の調印後、わが国での総選挙の実現までには、まだ長い道のりがありました。一般和平協定の有効な実施の不確かさ、選挙まで平和が続く可能性への疑いが、和平協定の調印後にモザンビーク国民の心に初めて芽生えた幸福に影を落としていました。今後、国連組織を派遣するという提案も、平和維持を保証するものではありませんでした。
そうした時期に、私たちは、マハリシ・ヴェーダ大学の代表者と接触し、彼らのテクノロジーとその効果について詳細な説明を受けました。提示されたテクノロジーが真剣かつ批判的に検討された後、モザンビーク軍の統合参謀本部は、そのテクノロジーの軍隊での実施の可能性について分析・研究する任務を託されました。
この提案に対する徹底的な評価が完了した後、統合参謀本部は、国内にマハリシ効果*を生みだすことを目標に、超越瞑想とヨーガのフライングを含むTMシディプログラムをモザンビーク軍で実施する決断を下しました。それを試すか、それとも無視するかは、決断の問題でした。この決断はモザンビークに国連軍が到着する前に行われました。
※マハリシ効果 人口の1%の平方根の人数が、超越瞑想とその上級プログラム、TMシディをグループで実践することで、環境に肯定性と調和的な影響が生み出される現象。経済が発展し、犯罪、病気、交通事故など否定的な出来事が減少することが、社会科学者によって大規模な実験が行われ、科学的に検証されている。
超越瞑想を指導する大規模なプロジェクトが始まる
こうして、陸軍、海軍、空軍を含めた国内のさまざまな部隊で超越瞑想を指導する大規模なプロジェクトが始まりました。1993年にはマプート、ソファラ、マニカ、ザンベジ、ナンプーラ、ニアッサ、カボ・デルガドで、約15,000人、1994年には1,000人以上が指導を受けました。また、内務省に属する警察学校でもこのプログラムが開始されました。全部で3,000人以上がTMシディプログラムの訓練を受けました。
プログラムが始まる前から、マハリシ効果の結果は予想されていました。マハリシ効果が生みだすコヒーレンス(同調)の影響で、平和が維持され、犯罪指標に改善が現れ、自動車事故件数が減少し、前例のないほど経済が上向くといった予想が私たちに示されました。
マプートで何千人もの人々が指導を受けたとき、1993年の第一・四半期の犯罪指標が20%減少しました。この減少率はまったく異常なことでした。なぜなら、戦争終結後に犯罪が増加すると予想されていたからです。同じことがケリマネ市(20%減少)とマニカ州でも起こりました。そして、軍隊の移動や軍隊の解散のためにグループによる実践が停止すると、犯罪指標は再び増加しました。
1993年に、国内の自動車台数が約3~4倍に増加し、国内の自動車の普及率が劇的に増加しました。また、28年ぶりに国中の道路を自由に旅行できるようになりました。にもかかわらず、自動車事故による死者数は前年とほぼ同程度にとどまりました。1993年の経済成長率の予想は6%でしたが、実際には19%の伸びを示して完全に予想を上回りました。
瞑想のグループ実習を止めると、効果が激減した
非常にはっきりしているのは、いったん肯定的な影響が生みだされた後で、グループ実践を止めると、犯罪指標や国内の緊張状態から判断されるように、以前の傾向がまた現れて集合的なストレスが高まりはじめるということです。1994年に、超越瞑想とTMシディプログラムのグループ実践の参加者が減少した結果、国内のコヒーレンスが著しく減少しました。参加者が減少したのは、プログラムを実践する部隊が解散したり、プログラムを履修科目に組み込んだ警察学校の課程が予定どおり終了したためです。
これまで、多くの困難がありながらも、二年間にわたり平和を維持することができ、また自由で公正な選挙が実施されました。これは世界で唯一成功した国連派遣団活動です。
私たちは結論として、超越瞑想とヨーガのフライングを含むTMシディプログラムをモザンビークの軍隊で実施したことは、その努力に見合うだけの価値があり、その結果は期待を裏切らなかった、と言うことができます。」
モザンビークでTMシディプログラムのヨーガのフライングを大人数で実践したグループは、ダイ中将が演説で言及したように、1994年にその参加人数がかなり減少したが、規模を縮小したグループが国内にコヒーレンスの影響を生みだし続けている。
モザンビークの復興は、一般的な現象ではなかった
上述したモザンビークでの変化は、似通った条件をもつ国アンゴラと比較すると、同時期の展開において著しい対照を見せていた。この比較から、モザンビークが体験し続けている進歩は、この地域における一般的な現象ではないことが明らかだ。
アンゴラとモザンビークは、かつてポルトガルの植民地であり、両国とも1970年代と1980年代には長く厳しい内戦に苦しんでいた。1990年代初に、両国は、国連が実質的に監視した和平協定に調印する。しかし、アンゴラでの和平協定は1991年5月から1992年10月まで保たれたが、その後協定は決裂し、再発した内戦は1994年11月の新たな協定まで続いた。
和平協定と国連軍の駐留にもかかわらず、暴力と無秩序はアンゴラの深刻な問題であり続けた。たとえば、1997年の激しい戦闘は1994年の和平協定を脅かし、アンゴラの経済は混乱を続けていた。
一方、モザンビークは、1992年10月の協定の後すぐに、マハリシの防衛のためのプログラムを実施した。その結果、モザンビークにおける暴力と無秩序は劇的に減少し、同時に、国家経済は回復し始め、それ以来ずっと堅調な経済成長を示している。現在、モザンビークは、アフリカにおいて激しい内戦からの復興に成功した国家の模範と見なされている。
こうして、最も悲惨な状況にあった国家の運命は、たった一人の人物の決断によって、大きく変わることになった。そして、このモザンビークの奇跡は、超越瞑想とTMシディプログラムという意識のテクノロジーが、国家のあらゆる問題を解決できることを示す良い実例となった。
その後、シサノ元大統領は、2009年に米国のマハリシ経営大学を訪れ、それ以来、アフリカの教育、健康、平和の促進のために超越瞑想を広める活動に協力している。
南アフリカのヨハネスブルグにある
超越瞑想を大学課程に組み込んでいるMaharishi Instituteを訪れたシサノ元大統領(2009年)