HSPで生じる問題の50%以上は、瞑想という習慣で解決できる-1

昔からの友人で、超越瞑想を長年実習している竜ちゃんのブログ記事を、ご本人の許可をえて転載させていただきます。川井悠央

https://note.com/delightful_life/n/n60dd6badea71

HSPと瞑想
先の記事でも書きましたが、HSP(Highly sensitive person「ハイリー・センシティブ・パーソン」)の提唱者であるエレイン・N・アーロン博士は、50年以上、超越瞑想(TM)を続けておられます。私も30年以上続けています。

博士は、著書の中で次のように述べておられます。3章で超越瞑想(TM)を推奨した。

ここでもう一度TMに言及したい。というのも瞑想がコルチゾール(過覚醒によって生成された「ストレス」ホルモン)を低下させるという前述の研究の他に、新たな医学研究がおこなわれたからだ。私はこの五十年間、ほとんど欠かすことなくTMを日に二回おこなっている。この五十年間の実践は、TMがどれほど私をリラックスさせているかを示す、ある種の研究といえるだろう。私は毎回この超越瞑想を楽しみにしており、この休息のおかげで、間違いなく以前よりいい人間になった。---『敏感すぎる私の活かし方』エレイン・N・アーロン著、片桐恵理子訳、パンローリング株式会社、P356より

ここで注目したいのは、先の記事のポール・マッカートニーもエレイン・N・アーロン博士も瞑想することによって「少しはいい人間になれた」「以前よりいい人間になった」と言われていることです。

お二人とも決して瞑想の効果を過小評価されているわけではなく、これが素直な意見だと思います。私も瞑想を習慣とするようになってから、以前よりマシな人間になったと思っています。

特に自分が強度のHSP(感度の高いアンテナを常に張っている状態)だと知ってからは、人生で瞑想と音楽に出会えたことは、とてもラッキーだったと感謝しています。もしも瞑想と音楽に出会えていなかったら、もっと苦悩に満ちた人生を送っていたかもしれません。

瞑想習得の投資効果
瞑想は、本などの知識から実践しても軽いリラックス以上の効果はありません。また独学で始めた場合、体験に囚われすぎて精神的なバランスを崩す場合もあります。

そこでちゃんとした指導者について習う必要がありますが、そのためには少しばかりのお金(数万円〜)と習得する時間(数日〜)は必要となります。

それをハードルが高いと見るかどうかですが、超越瞑想(TM)のような瞑想の場合、一度習ってしまえば、それは一生モノのテクニックになります。

大昔だったら、わざわざ危険を冒して指導者を探す旅に出て、良い指導者を見つけるまで何度もトライして、などということをやっているうちに何も習得できないまま年老いてしまったなどということもありました。

それが現代では少しばかりのお金(数万円〜)と習得する時間(数日〜)を投資するだけで、テクニックを手に入れられるという意味では、投資効果は高いと言えます。

一時的な投資としては金額的にも高い!と感じるかもしれませんが、そこから得られる効果は絶大です。

効果の期待しすぎは要注意
だからといって、瞑想を習慣にしたら、精神的な問題はすべて解決して、お金持ちになって、人生バラ色か?というと、そう単純なものでもありません。

ただ、ポール・マッカートニーやエレイン・N・アーロン博士も言われるように「いい人間」になることはできます。

それだけのことに数万円以上のお金と数日間もかけられるかい!と言われるかもしれませんが、個人的な意見として言わせていただくと、HSP(Highly sensitive person)の人のかかえる問題の50%以上は、瞑想という習慣を得ることによって、努力しなくても自動的に解決できると私は考えています。

HSPの関連の本を読んで、そこから自分が実践できることをコツコツと行うのも良いですが、瞑想という習慣を持つことによって、まずHSPが一番苦しんでいるココロとカラダの疲れすぎを解消することが容易になります。

私が長年、企画の仕事と平行して取り組んだSE(システムエンジニア)の仕事は、5人に1人はウツになるとも言われていて、実際に同じ会社の人や取引先にはウツになった人も多く、中には命を落とした人も何人もいました。

私が生まれつきHSPでありながら、その過酷な状況を生き延びられた要因の1つとして、瞑想の存在は大きいと思います。割合から考えると、SEでウツになってしまう人は、ひょっとすると元々HSP気質なのかもしれません。

仕事がどれぐらい過酷だったかというと、夜中の3時に起こされて何度もクルマで客先に行ったり、平均睡眠時間2時間が1ヶ月以上続いたり、システムがトラブルになると38時間休憩なし(もちろん睡眠も食事もなし)でコンピュータ室にこもって仕事したりといったこともありました。

一番ひどい時期には毎朝、通勤電車を待つホームで、このまま死んだら楽になれるかな?と自然に考えてしまう日々でした。でもその度に、そんな死に方してもカッコ悪いからやめとこう、と考えて思いとどまっていたのです。

巷のブラック企業より過酷な状況で、よく死ななかったと自分でも思います。さすがに最近では、こういった企業や仕事環境は無いと思いますが。

ただ、私は瞑想を教える立場のかた達の広報マンでも何でもなく、長年の経験者というだけですので、瞑想の良いことに関してはそれらの人におまかせして、実践者としての立場から多くの人が考えられるであろう、素朴な疑問に答えてみたいと思います。

また瞑想に抱いてしまう幻想についても早いうちから取り去っておいたほうが良いと考えています。

ということで、次回につづく。。。