悪夢のような映画を作る彼が、なぜ誰よりも幸福なのか? デヴィッド・リンチのもう一つの顔

『ツイン・ピークス』や『ブルー・ベルベット』など、シュールで悪夢的な世界を描く鬼才デヴィッド・リンチ。しかし実際の彼は、作風とは真逆の、誰よりも陽気で穏やかな人物でした。その秘密は、1973年から1日も欠かさず続けている「超越瞑想(TM)」にありました。

今年1月に逝去したリンチと超越瞑想との関わりを振り返る記事がアメリカのカルチャー誌 GQ に掲載されました。その一部をご紹介します。

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映画監督のデヴィッド・リンチは超越瞑想(TM)の偉大な伝道師でした。リンチほど、ビートルズ以降にTMのポップカルチャー上の知名度を高めた人物はいません。彼は2025年1月に亡くなり、明確なセレブリティの後継者を残さないまま旅立ちました。では、次の時代を担うのは誰なのでしょうか。

瞑想との出会い

リンチは1973年7月1日、晴れた土曜の朝に初めて瞑想を始めました。当時、彼は映画『イレイザーヘッド』の撮影中で外から見れば順調そのものでしたが、内心は不満で「なぜ幸せを感じられないのか」と悩んでいたといいます。そんな折、妹から超越瞑想(TM)を勧められ、彼の人生は大きく変わりました。

映画監督を超えるもう一つの遺産

リンチは映画監督として知られていますが、人生最後の20年間をTM運動に捧げており、大きな功績を残しました。彼は映画については寡黙でしたが、瞑想については毎日欠かさず実践していたと熱心に語り、多くの人々に影響を与えました。

バランスの取れた語り手

彼が創設したデヴィッド・リンチ財団は、TMに関する研究を支援したり、社会的支援を必要とする人達にTMを教えてきました。今では世界で最も影響力のあるTM関連団体のひとつとなり、TMの普及に大きな役割を果たしています。

リンチはTMを「宗教」ではなく「誰もが使える健康のための技法」と位置づけました。彼の語り口は実用的な利点を強調しつつ、時に神秘的なニュアンスを添えるというバランスに優れていて、その姿勢は「聖人」と評されるほどでした。

デヴィッド・リンチ財団の歩み

財団設立は2005年。リンチは世界各地で講演を行い、自宅でも瞑想会を開きました。やがて著書『大きな魚をつかまえよう』やドキュメンタリー映画を通じて、瞑想と創造性のつながりを広めていきました。2009年には元ビートルズのポール・マッカートニーとリンゴ・スターを招いたチャリティコンサートを開催し、それをきっかけにデヴィッド・リンチ財団は一躍有名となりました。

リンチ財団は単なるPRにとどまらず、医療従事者向けのプログラムや退役軍人向けのプログラムを展開し、すでに100万人以上がそうしたプログラムに参加しています。

リンチ亡き後のTM

リンチは晩年、肺気腫と闘いながらも財団活動を支え続けました。彼の死後、ヒュー・ジャックマンやケイティ・ペリーといったセレブが活動に関わっていますが、「新しい顔」が誰になるかはまだ見えていません。

科学への橋渡し

ケンブリッジ大学の神経科学者アンドレス・カナレス=ジョンソンは、パンデミックを機にTMを始めました。TMは世界中で同じ方法で教えられるため、科学的研究に適していると彼はいいます。彼の研究では、TMを実践している人の脳に「特有のアルファ波」が観測されており、意識の仕組みに迫る手がかりとなっています。

実は彼自身、13歳のときにリンチの映画『ロスト・ハイウェイ』を見て神経科学者を志したと語っていました。映画が意識の深淵を探究する入口となり、やがて瞑想と脳の研究へとつながったのです。

リンチの最も永続的な遺産

リンチの映画は観る者を意識の深みへと誘い、さらに奥深くへと進みたい人には超越への招待状を差し出していました。彼の残した最も大きな遺産は、作品そのものと、TMを通じて人々を内なる探究へ導いたその姿勢なのかもしれません。

ソース:David Lynch Was Transcendental Meditation’s Greatest Ambassador. What Happens to the Movement Now?

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