1997年に元ビートルズのジョージ・ハリスンが、米ケーブルテレビ番組「VH1」のインタビューで、マハリシや瞑想について語っていました。以下は、そのインタビューの抜粋です。
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何かを知りたければ、ドアをノックすればいい
UnsplashのJacob Culpが撮影した写真
司会者:ミュージシャンは、生と死という大きなテーマを扱うことを恐れていると思いますか。
ジョージ:他の人がどう考えているかは分からないけど、親しい友人でさえ、そのことを話したがらないのは、理解できないからかもしれない。でも僕は、「叩けばドアは開かれる」という聖書に書かれていることを信じています。
それは真実です。この世界で何かを知りたければ、ドアをノックすればいい。物理的に誰かのドアをノックして、質問することもできます。僕は幸運にも、瞑想という方法を見つけました。すべては、内側にあるからね。
考えてみれば、すべての創造物は完璧なんだから、自然には何一つ間違いはない。唯一、人間が行うことだけが、間違った方向に進むことがありえる。
それでも、私たちの存在の本質、私たちの体のすべての原子は、この完璧な知識と完璧な意識からできています。ただ、その上に、世の中に渦巻くデタラメな高波が重なって、私たちはそのデタラメな高波にのまれてしまうのです。
それだけでなく、世界の構造、つまり創造物の構造には、「はい/いいえ」「良い/悪い」「損失/利益」「誕生/死」という二元性がある。私たちは、その輪に囚われてしまうのです。「メンフィス・ブルース・アゲイン」(ボブ・ディランの歌)のようにね。最も理解しにくいのは、何がこの2つのことを引き起こしているのか? 昼と夜、良いことと悪いこと、それらを引き起こしているのは何なのか? それが、すべての原因であり、結果なのです。
つまり、ここで超越的な話になってしまいますが、私たちの肉体的な存在というのは、非常に微細なレベルでは、木の樹液のようなものです。木には樹液があり、その樹液は木のすべての部分を流れています。私たちの身体は肉体として現れていますが、その原因である樹液は、純粋な意識、純粋な気づきです。そしてそれは完璧であり、完璧な知識です。でも、それを理解するためには、その中に入り込む必要があります。
これじゃない。これじゃないんだ
司会:あなたが東洋哲学を受け入れたことについて考えたのですが、なぜ、より深いものを求めるようになったのですか。
ジョージ:僕の場合、自分がもっと何かを求めていることに気づいたのです。「これじゃない。これじゃないんだ」と。 名声を求めていたわけじゃない。お金だって、あるに越したことはないけど、それは答えにはならない。
どうすれば心の平安が得られるのか。どうすれば幸せになれるのか。それを手にすることが、私たちがここにいる本当の目的です。
難しいのは、私たちは皆、人生や日々の生活を送る中で、至福を経験することができないことです。
それはとても繊細なものです。それを経験すること、そしてその方法を知ることは、ただ偶然見つけるのではなく、探さなきゃならないものです。
至福とは、心を超えて思考が関わっていないときにあるもの
司会者:ステージやスタジオで演奏しているときに、至福を経験したことはありますか? その至福に触れることはできましたか?
ジョージ:そうですね、幸せを感じる時もありました。でもそれは、体中の原子が躍動するような至福感じゃない。至福とは、心を超えて思考が関わっていないときにあるものです。
その段階に達するのは、かなり精妙なテクニックが必要です。なぜなら、それは心を扱うことであり、起きているとき、眠っているとき、夢を見ているとき、そのような相対的な意識状態を超越することだからです。そうした相対的なものを超えた、もう一つの意識状態があります。そこに至福があり、知識が存在するのです。
司会者:過去20年間に、あなたがイギリスで行ったコンサートは、確か1992年に行われた自然法則党のための慈善コンサートだけでしたね。そのきっかけは何だったのですか?
ジョージ:そうですね。エリック・クラプトンのバンドで日本ツアーをやったばかりでしたから、やりやすかったというのもあります。そのころ総選挙が行われていて、マハリシは自然法則党と呼ばれる政党を作ろうとしていました。
人生、それは自分自身の意識の反映
Image by Gerd Altmann from Pixabay
司会者:マハリシ・マヘーシュ・ヨギーのことですか?
ジョージ:そうです。その背後にある考え方は、意識が基本的なものだということです。人生でどんな状況が起こっても、それは自分自身の意識の反映です。ですから、何が起こっても、それに不平を言うことはできません。なぜなら、それは私たち自身の存在の反映だからです。……
この地球、あるいは宇宙で働く自然の法則は、先ほど話したように、すべてが完璧な秩序で動いています。そして、物事にはある種の知性を持った計画があり、それがすべてを動かしているのです。
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーがかつて言ったように、森が緑であるためには、一本一本の木が緑でなければなりません。ですから、一人や二人だけではだめなのです。社会全体がそのように理解できるようにならなければならない。子供の頃から、健康や身体、意識について教えるのです。なぜなら、すべては意識に関わることだからです。意識のレベルを上げれば、すべてが自動的に良くなります。
司会者:面白いことに、人と話すと、物事が良くなっていると思う人と、悪くなっていると思う人の二つに分かれます。
ジョージ:良くもなっているし、悪くもなっている。それが相対性の本質だから。いいことも悪いこともある、ということです。それでも、個々人が純粋意識に確立されていれば、問題ありません。なぜなら、善と悪のバランスを保つことができるからです。本当は、善も悪も同じようなものです。だから、その真ん中が安全なのです。