シリーズ弐では、平安時代の謎の都人と弥生人のお話でした。今回は、外郎(ういろう)家のお話です。外郎家にゆかりがあるものは、祇園祭のカマキリの山鉾「蟷螂山」や、 静岡県森町の山名神社の「蟷螂舞」、歌舞伎十八番の「外郎売」、「湘南」の地名など色々あります。
外郎家の祖先の陳延祐は、元王朝に「大医院礼部員外郎」の官吏として仕えていましたが、元が明に滅ぼされ、1368年海路博多へ、陳外郎と称されました。その後外郎家は、陸路で京都へ、更に小田原へ来られることになります。
医術や占術など、大陸の技術と教養を身につけた陳延祐は、度々将軍足利義満より上洛を請われますが、崇福寺の僧となり博多で生涯を閉じました。その息子2代目陳外郎大年宗奇は足利義満に招かれ京都へ、更に5代目の陳外郎宇野藤右衛門定治(足利氏の祖籍の宇野姓を継ぐ)は北条早雲に招かれ1504年小田原に移住されました。
小田原城の近くにある「ういろう本店」は、三階建て八棟造りのお城のような立派な建物です。震災で二度建て直しをしていますが、今もその頃の面影を伝えています。
お菓子のういろうは、京都で朝廷の典医や外国使節の接待も務めていた2代目宗奇が自ら作っておもてなしをしたのが始まりです。薬のういろう「透頂香」の名は、天皇より賜ったものだそうです。
歌舞伎十八番の「外郎売」は、この薬に感謝された2代目市川團十郎が1718年江戸時代に初演、最近では市川團十郎白猿(海老蔵)さんが親子で演じられました。口上では「…お江戸を発って二十里上方、相州小田原…」と、妙薬の由来や効能が滑舌で紹介されます。この外郎売は、北斎や豊国の浮世絵(市のサイトへ)にも描かれています。
1664年、8代目外郎家の次男の崇雪は、西行寺を作るために大磯に鴫立庵と名付けた庵を結び、表に「鴫立沢」裏に「崇雪 著盡湘南清絶地」と彫った標石を建てました。これが、「湘南」の地名の発祥となったと言われています。
鴫立沢は、西行法師がこの辺りを詠んだ歌「こころなき 身にもあはれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮」で知られています。鴫立庵は、京都の落柿舎、滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場の一つです。
ういろうの製法は一子相伝のため、崇雪は外郎家を継ぐことはありませんでした。崇雪は相模湾を望むこの地に、祖先が語り継いできたまだ見ぬ故郷、書画のみで知る憧れの地、湖南省洞庭湖、湘江の景勝地「湘南」を重ね愛されたのでしょうか?
外郎家は、北条氏が秀吉に敗れるまで武家として仕えておられました。カマキリと言えば「蟷螂拳」、医術と武術は裏表、また、武舞で鍛錬をしていた歴史もあります。外郎家は代々、武術も医術も占術も、そして舞も料理もできる多才な武人で文人だったのでは?と歴史ロマンを楽しんでいます。
興味が尽きない外郎家ですが、私はこの外郎家(現在25代目)のお菓子のういろうと、「ういろう別館杏林亭」の地元食材を使った優しい味わいの中華料理は大好きです!
ヴェーダの中には構造に関する知識もあり、スターパティヤ・ヴェーダ(ヴァーストゥ)とよばれる国や都市、宮殿、住居などを設計する建築学があります。
日本では、家を建てる時には吉日を選び、地鎮祭や上棟式を行いお祝いをしますが、スターパティヤ・ヴェーダでも同じです。
ヴェーダの知識のひとつジョーティシュとよばれる占星学を使って、星から良い影響を受けられる吉兆なタイミングを選びお祝いをします。
ジョーティシュの知識の一部は、宿曜経として空海をはじめとする遣唐使の僧達によって日本にも伝えられました。正式な名称は『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経』だそうです。
ジョーティシュでは、生年月日、誕生時刻、誕生場所から様々な分析をし、コンサルテーションを行います。
子供や会社の名前などにつける最も良い音を選んでもらうこともできます。自分の名前を呼ばれる度に、その声で周りの空気が良い振動をする…と考えただけでも、幸運に恵まれそうです。
お気に入りの土地に、自然と調和した幸運を招く良い住処を見つけてくださいませ。
そして、最高のタイミングで入居され、自然から多くのサポートを得て、幸運と健康、豊かさや啓発に恵まれることを願います。
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