私の内側にあった純粋な喜び【瞑想の体験談】

ベトナム戦争の退役軍人で、現在はシニア・ボランティアのコーディネーターをしているジョン・ミラーさんが、超越瞑想によって得られた「純粋な喜びに浸る経験」について語った体験談です。

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子供の頃のある日、私は不思議な考えを抱きました。「もし宗教に何か真実を見出したら、私は牧師になる」という考えです。大体10歳くらいの時のことでした。それは、幼少期に信仰していたルター派の宗教とは関係なく、ふと思いついたことです。

故郷のミネソタ州ウィンドムの小さな教会に家族で定期的に通っていたことが、幼い私の心に火をつけたのかもしれません。その火花は、後に私の人生の中で炎となって燃え上がります。

心の平穏を求めて

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数十年前のことです。私は、軍務上のストレスに対処する方法を学ぶ必要がありました。ベトナム戦争中、私は1973年1月から1974年5月まで、タイのウタパオで異民族の関係を改善する18時間のプログラムの責任者を務めました。アメリカの少数民族の歴史、偏見や差別の本質を説明したり、公民権運動の映画を上映したりして、多くの議論の仲裁をしました。

偶然にも上司の勧めで、基地内で瞑想の指導を受けることができました。それは超越瞑想ではありませんでしたが、ヨガやプラーナヤーマ(呼吸法)、キルタン(歌と詠唱)を学ぶことができました。驚いたことに、これらはレクリエーションとして認められていたのです。教えてもらった瞑想は、私にとってとても有益なものでした。

軍を除隊した後、私は他の瞑想法を探し求めて指導を受け、その後35年間、瞑想を続けていました。深いリラックスが得られることもありましたが、子供の頃に私が求めていた深遠な体験を得ることはありませんでした。

至福、甘くて優しい気分

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そこから少し話は先に進みますが、私は妻のヴィナと息子のプラナを連れて、アイオワ州のフェアフィールドに引っ越しました。そこに移って来たのは、息子がマハリシ国際大学で学士号を取得するためです。私たち3人は2010年2月にそこで超越瞑想を学び、その後、娘のアナラとディヤナもやって来て超越瞑想を学びました。

超越瞑想は、私の中に次のような目覚めをもたらしました。超越瞑想を実践したある日、私は新鮮な体験をしました。それは1時間近くも純粋な喜びに浸るという体験で、その後で車を運転している間も続きました。

その1年後に、上級のTMシディプログラムを学びましたが、その特別な体験の色合いが何度も繰り返され、日記には次のように記録されています。

「至福、甘くて優しい気分、柔らかさ、涙が出そうになった。自分が何者であるかを感じた。呼吸はとても心地よく、深く、滑らかで、最後には幸福に満ちた流れを感じた」。それは私が何十年も求めていたものでした。

古代ヴェーダの文献ウパニシャッドには、5つのコーシャ(覆い)があると説明されています。まず身体、次に生命エネルギー、次に心、次に識別能力、そして最後に喜びや至福の覆いがあり、粗大なものから微細なものまで、これらすべてが人の内なる自己や存在を覆っています。

上記の体験では、まだその「自己」に触れていないかもしれませんが、その喜びを味わうことで、少なくとも10歳の頃に抱いた「神と触れ合いたい」という願いに近づいたと感じました。

拡大した意識

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瞑想中の至福の体験は毎日ではありませんが、実際に記録してみると54回もありました。瞑想中に喜びの感情が湧き上がり、瞑想の後で何かをしているときにも2時間以上続くことが幾度かありました。

日記の中で、そのときの瞑想を「爽快感。拡大した意識。溶岩の噴出。精神の軽さ。目のくらむような感覚。平和。中心に留まる。深い呼吸。喜び。波。驚き。至福にみちあふれる。陶酔。深い休息。満足感。甘い味」と表現していました。

このような経験から、超越瞑想の実践を続けることを決意し、今日まで続けてきました。幼い頃に抱いていた牧師になりたいという願望がどのように実現するかはまだわかりませんが、その夢に近づいているのを感じます。

ジョン・ミラーさん(写真中央)とご家族

ソース:A Childhood Dream Realized

瞑想を試してみた