現在も活躍中のビートルズの2人が、世界中の子供達に超越瞑想を伝えるために、ニューヨークのステージで共演した。ポール・マッカートニーとリンゴ・スターが一緒にコンサートを行うのは7年ぶりのこと。2人で「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」を演奏した。
このコンサートは、映画監督のデヴィッド・リンチが主催したもので、超越瞑想を100万人の学生に教える資金を集めるために行われた。二人の共演は、ラジオシティ・ミュージックホールでの慈善コンサートのクライマックスとなった。「それはインドでマハリシに会ったときから始まっていた。それはさらに大きくなって、世界中に影響を与えることになるだろう」とマッカートニーは聴衆に語った。
他の出演者は、シェリル・クロウ、モービー、エディ・ヴェダー(パール・ジャム)、ドノヴァン、ベン・ハーパー。映画「ブルー・ベルベット」「ツイン・ピークス」の監督であるリンチ氏は、超越瞑想を学校に導入する活動を積極的に進めている。彼は著書「大きな魚をつかまえよう」の中で、瞑想によって創造性が育まれると語っている。
意識による教育と世界平和のためのデヴィッド・リンチ財団は、これまで世界30カ国で10万人以上の子供や教師や両親に、TM瞑想を学ぶための奨学金を提供してきた。「問題を抱える学校が超越瞑想を導入し、1年以内に180度変わるのを我々は目にしてきた。それはとても感動的なことだ。」とリンチ氏は語っている。
1970年にビートルズが解散して以来、マッカートニーとスターの二人が共演することはほとんどなかった。2002年に、ジョージ・ハリスンが癌で亡くなったとき、彼に捧げるコンサートで共演したのが最後だった。今回のコンサートでも最初は一人づつ別々にステージに立った。
マッカートニーは、1980年にニューヨークで亡くなったジョン・レノンに敬意を表し、「私もジョンもニューヨークが大好きだった。ジョンのためにこの曲をおくる」と言って、「ヒア・トゥディ」を演奏した。これはレノンの死後にマッカートニーが作った曲だ。マッカートニーは、「レット・イット・ビー」、「レディ・マドンナ」、「ブラックバード」などビートルズ時代のヒット曲も演奏した。マッカートニーが「紳士淑女の皆様、ビリー・シアーズです」と言ってリンゴ・スターを紹介したとき、コンサートはハイライトを迎えた。「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」を演奏した後も、リンゴ・スターはアンコールに応えてステージに残り、マッカートニーがインド滞在中に作った歌をドラムで演奏した。
コンサートの前日の記者会見では、マッカートニーとリンゴ・スターは、1968年にインドへ行き、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーから瞑想を習ったことを話した。「40年前にリシケシに行き、そこでマハリシと一緒に過ごした。その数ヶ月前にも、我々はウェールズでマハリシと会っていた。それ以来、あるときはたくさん、あるときはわずかに瞑想を続けてきた。瞑想はマハリシからの贈り物だ。これまで人からもらったものの中で、本当に大切だと思えるものは少ない。超越瞑想は、その数少ないものの1つだ。」とリンゴ・スターは語っている。
マッカートニーは「クレイジーな60年代の終わり、自分を安定させる何かを探し求めていたときに超越瞑想と出会った。そのときから、僕は40年間、瞑想を続けてきた。狂乱のただ中にあっても、瞑想することで心の落ち着きを取り戻すことができる。この瞑想法は、あまり平和とはいえない世界にあって、子供たちに平和な天国を与える助けになるだろう。」と語っていた。
「匿名の瞑想者たちのミーティングのようだった」とモービーは冗談交じりに語った。「精神的な道楽として、私はたくさんの様々な瞑想法を試してきた。その中で、TMに非常に魅力を感じたのは、その効果だった。TMがとても効果的である理由の1つは、努力が必要ないこと。それは怠け者の私にとって、とてもありがたいことだ。」
タイムズ・オンライン 2009年4月6日
■コンサートのための記者会見