本当の自分でいられる──瞑想は心のライフライン

私にとってそれは、「学ぶ者の準備ができたとき、師は現れる」という格言そのままの出来事でした。2000年代に入って間もない頃、私はオレゴンの電話会社で働いていました。

ある日、私は担当するプロジェクトのとても難しくて一刻を争う部分が解決した後、ノースカロライナを拠点に活動しているクライアントのブルースさんと会話を始めたのですが、妙なことに、瞑想のことが話題に上りました。

その当時、私は、子供の頃に受けた性的虐待に関係する感情的・精神的ストレスへの癒しと対処のために役立つ手段をなんとかして探しだそうとしていました。これらのストレスは、私の生活の質や人間関係、幸福、自尊心への妨げになり始めていたのです。私は数年間、ヨガを断続的に実践していて、効果はあったのですが、その効果をさらに広げたり深めたりする余地があると感じていました。瞑想にも興味があり、それはさらなる助けになるかもしれないと考えていました。

何カ月もかけて、私はさまざまな瞑想法を探求しました。私が試した多くの瞑想法には、ロウソクの炎を見つめたり、呼吸に注意を向ける、といった類いのものでした。いずれの場合も、決まった時間に座って瞑想するという現実に直面すると、それをしなくてもいい口実が頭の中に浮かんできてしまうのです。私はほとんど無理やり自分を座らせていましたが、その結果、瞑想することが嫌になってしまったのです。

結局、数多くの瞑想法を試してみた後、私は無理をするのをやめ、瞑想することを諦めました。そのせいで私は悲観的になり、自分は瞑想がまったくできないタイプの人間なのだと考えました。

「学ぶ者の準備ができたとき、師は現れる」

そのようなわけで、クライアントのブルースさんが瞑想のことを話題にしたとき、私はそれまでの瞑想の体験を彼に打ち明け、私は落ち着きがなさすぎて、じっと座って瞑想することができないのだと洩らしました。すると彼は、よく分かりますよ、自分もそんなふうに感じていました、けれどもそれはずっと昔のことです、という思い出を話してくれました。そのあと彼は、規則的な瞑想を二十年以上続けていますが、私のやっているのは超越瞑想(TM)です、と言いました。

もちろん私はTMについて耳にしていましたが、その料金が私にとって高すぎたので、気が進まなかったのです。もしやってみて、これまで試してきた瞑想と同じ結果になったらどうしようって思っていました。でも、彼との会話で勇気づけられ、それは検討に値するかもしれないと思いはじめたのです。さて、話をはしょれば、私は数週間後にTMを習っていました。

心の中でマントラを静かに思った最初の瞬間から、TMはとても心地よく、そしてとても簡単であると感じました。習ってからすぐ、その瞑想が自分に向いていることがはっきりとわかりました。とても深い安らぎを感じました。ついに私は瞑想することができたのです!

TMを習ったその日から、私は毎日瞑想するのが文字どおり待ちきれなくなり、瞑想している間とその後に感じる心地よさをとても嬉しく思いました。

よりいっそう自分らしくなれる

瞑想がしたくてたまらない気持ちと、毎日の(一日も欠かさない!)瞑想が大好きという気持ちは、年月が経っても私から離れることはなく、十三年後の今でも続いています。TMは私の生活の一部になっています。それは、より落ち着いた私、より豊かな人間関係を築ける私、より創造的な私へと導いてくれるライフラインになっています。つまり、私がよりいっそう自分らしくなるのを助けてくれているのです。

瞑想を長く続ければ続けるほどますます気づいてくることがあります。それは、人生の一時期に厳しくて辛いことがあったとしても、それは危機や破滅につながるものではない、ということです。私のTMの実践は、私の人生の苦しみを少なくするために実際に役立っていると信じていますし、私にとってTMはこの上なく価値のある贈り物であり、そして、私自身を愛するためにいつでも使える道具なのです。

ちょうどよいタイミングで偶然にブルースさんと交わした価値ある会話と、TMを習おうという私自身の選択が、数えきれないほど多くの面で、そして素晴らしい形で、私の人生の筋書きを変えてくれました。

Source:A Lifeline to a Calmer, More Connected, More Creative Version of Myself By Tracy Chipman, Enjoy TMnews