ビートルズが、1968年にインドを訪れ、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの教えを受けたことで、超越瞑想に対する世界中の注目が集まった。英国新聞『テレグラフ』の最近の記事は、ビートルズが実は時代の先取りしていたのではないかと考察している。
以下は、科学担当記者リチャード・ギャレーが書いたテレグラフの記事(2013年6月11日)からの引用
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それはポピュラー音楽の歴史における一時期に過ぎないように見えた。だが、ビートルズは、彼らの伝説的なインド旅行の間に、結局のところ、よい結果を出したように見える。
1960年代に、ビートルズが超越瞑想を始めインドを訪問し、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの元でそのテクニックについて学んだことで、超越瞑想という言葉は、ヒッピー文化と同義語になった。
現在、超越瞑想に関する数多くの研究が行われ、超越瞑想が人々の生活に肯定的な影響をもたらすことが実証されている。
最近の研究では、超越瞑想が精神的な問題を克服したり、高血圧の治療法として有効であることが実証された。最新の研究によると、超越瞑想を行っている学生のグループは、瞑想していない学生のグループよりも、卒業率が15%高かった。また成績が低い生徒のみを対象に分析した結果、この両グループの卒業率の差は25%に広がることがわかった。
コネチカット大学ニール教育学校のロバート・コルバート博士は、「超越瞑想は、学生生活を豊かにする方法として非常に期待がもてる」と述べている。さらに瞑想は、問題の多い学生の成績や卒業率を好転させる実行可能な手法だと付け加えた。
1968年にヒマラヤの麓で、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーと共に過ごしたビートルズは、白い服を着て花輪をかけていた。そうしたビートルズの最も有名なイメージのいくつかは、そのとき生み出されたものだ。その期間はまた、彼らにとって音楽的に最も生産的で有意義な時期の一つでもあった。リシケシを訪れている間に、彼らは約30曲の新曲を書いたとジョン・レノンは語っている。
そうした曲が、『ホワイトアルバム』として知られる『ザ・ビートルズ』や『アビイ・ロード』として世に出た。そこには、バック・イン・ザ・USSR、ブラックバード、レボリューション、ミーン・ミスター・マスタード等の曲が含まれている。
2009年に行われたインタビューの中で、ポール・マッカートニーとリンゴ・スターは、瞑想が助けとなったと率直に語っている。
リンゴ・スターは言う。
「40年前にリシケシに行き、そこでマハリシと一緒に過ごした。それ以来、あるときはたくさん、あるときはわずかに瞑想を続けてきた。それは、マハリシが僕に与えてくれた贈り物だ。」
それにマッカートニーは付け加えた。
「これまで人からもらったものの中で本当に大切だと思えるものは少ない。超越瞑想は、その数少ないものの一つだ。クレイジーな60年代の終わり、自分を安定させる何かを探し求めていた時に瞑想と出会った。」
マッカートニーは、以前、超越瞑想を学校に導入するように呼びかけたことがある。彼はこう語っていた。
「将来、瞑想することは学校や社会において一般的なことになると僕は思っている。現在、環境保護に対する意識が一般的になっているようにね。古代の療法が、現代の問題の解決策になるかもしれないと僕は感じているんだ。」
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以下は、ポール・マッカートニーが、超越瞑想を始めたきっかけや、最近、超越瞑想に対する人々の関心が高まっていることについて語ったインタビューである。