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1. 超越瞑想と集中法との違い
瞑想法の一つに、集中法がある。それは、心をコントロールして注意をある特定の対象に集中させる方法で、例えば、自分の呼吸や考えなど、特定の対象に意識を向ける。そうすることで、真理を見抜く力、落ち着き、高度な意識を得ようとする。チベット仏教、ヨガ、ヴェーダーンタの瞑想法、仏教の禅などがそうだ。
瞑想中による脳波の研究によると、心を一点に集中させる瞑想法を行っているときには、前頭部からガンマ波(20-50ヘルツ)が現れることが確認されている。ガンマ波とは、注意を一点に集中させる「活動」と関係した脳波である。
それに対して超越瞑想の実践中には、前頭部からアルファー波の同調が見られる。これは、心と体が深くリラックスした「安らぎ」と関係している脳波である。
超越瞑想の特徴は、心をコントロールしたり、集中しようとしたりしない。心の──より大きな幸福に向かうという──自然な傾向を利用して、まったく努力なく、自然に、心の落ち着いた状態をもたらす。
「超越」の状態で脳機能全体が同調する
超越瞑想の「超越」とは、心が完全に落ち着いた、活動のまったくない状態を示すものであり、その時、呼吸は静まり、脳機能全体が同調することがわかっている。これは、禅が定義する三昧にあたる(三昧──心、体、呼吸が整った状態)。この超越の体験によって、心、体、行動、環境にわたる幅広い効果を生み出すことが科学的研究によって確かめられている。
例えば、日常生活での不安感や憂鬱感が減少し、至福、活力、エネルギーが向上する。また、知能指数、創造性が増大し、一つのことに集中しているときにも広い視野を維持する能力が成長する。
このような成長の先に見えてくるのが、太古からすべての瞑想法が目指してきた「悟り」の状態である。誰もが日常の生活を楽しみながら実践できる、簡単で努力の要らない超越瞑想は「悟り」に至るための王道と言えよう。
通常、脳が活動しているときには、同調度は30〜40%ぐらいで、あまり高くありません。しかし、超越しているときには、脳波の同調率が90%にまで高まることが、次の動画の中で示されています。このように、超越の体験は、脳全体に影響を及ぼして、脳が一つのより統合された全体として機能できるようにします。
2. 超越瞑想とヴィパッサナー瞑想との違い
さまざまな瞑想法のなかで、観察するという方法がある。やって来ては去っていく思考、知覚、感覚に対して、判断したり、それにとらわれたりせずに、ただ観察することによって真理を見抜く力、落ち着きを得ようとする。ヴィパッサナー瞑想やマインドフルネス瞑想といったものが代表的だ。
これら瞑想法には、たいへん多くの実践方法があるが、そのほとんどは、心に去来する現象を一心に観察するために、いくらか心をコントロールする必要がある。それに対して、超越瞑想の実践は自動的であり、心をコントロールする必要はまったくない。瞑想自体が楽しいので、容易に続けることができる。
超越瞑想は、系統的に心の活動を超えていく瞑想法である。意識する心は、思考過程のより微細なレベル、さらに微細なレベルへと向かい、ついには、すべての思考を超えた純粋意識へと至る。この過程は、心の本質に基づいているために自動的に起こる。
純粋意識は無限のエネルギー、知性、平和に満ちた場
純粋意識とは、心の最も深いレベルにある想念の源であり、考え、知覚、感覚を超えた、無限のエネルギー、知性、平和に満ちた場である。この場を体験することで、深い安らぎを感じ、思考がクリアーになり、エネルギーに満たされる。超越瞑想は、心の底にある純粋意識を活性化して、私たちが生まれながらにもっている全潜在力を引き出すのだ。
このような超越の経験は、心にとって自然なことだが、ほとんどの瞑想法は、自動的に超越するようにはできてはいない。それらの方法は、心の活動が静まることなく、より粗大で表現的な体験に関わらせる傾向がある。
どのような形の瞑想法でも、何らかの効果をもっているが、超越瞑想のように、心・体・行動・環境に対して幅広い効果を生み出すかどうかは確認されてはいない。
脳機能における違い─瞑想法によって脳波のパターンが違う
脳の研究者達は、ヴィパッサナー瞑想やマインドフルネス瞑想の実践中に、前頭部にシータ波(5-8ヘルツ)、後頭部にガンマ波(30-40ヘルツ)に現れることを確認している。それは、内側で観察する過程、内的な記憶の「活動」を行っているときの典型的な脳波である。
超越瞑想の実践では、それらとは異なる脳波のパターンが生み出される。超越瞑想の実践中には、広範囲に渡ってアルファー波(8-12ヘルツ)の同調が見られ、特に脳の前頭部にアルファー波の同調が顕著に見られる。それは、より効率的で統合のとれた脳機能を示しており、内側でより目ざめていることを意味している。
3. 超越瞑想と誘導瞑想との違い
話し手が聴き手に対して指示し、瞑想を導く方法は誘導瞑想と呼ばれる。一般に瞑想用のCDを用いて、何かをイメージしたり、視覚化したり、語りかけに反応することで、楽しい気分を創り出し、リラックスの度合いを深める。この場合、私たちの注意は、思考や感情、イメージの領域に留まっている。
一方、超越瞑想の場合、注意は、思考やイメージの領域を超えて、心の内深くへと入っていく。それは、誘導によるものではなく、まったく自発的に努力なく行われる。
超越瞑想では、瞑想中、心は、想念のより微かなレベルを体験していき、ついには最も微かな想念を超越して、完全な静寂、純粋意識を経験する。
純粋意識とは、心の最も落ち着いた状態であり、無限の知性、エネルギー、幸福の場である。
安らいでいながらも機敏な状態は、超越瞑想の独特の体験
科学的な研究によれば、超越瞑想の実践中には、呼吸が微かになり、血液中のコルチゾールや血漿乳酸塩の減少が見られる。これら生理的な変化は、体が深く安らいでいることを示している。
また、脳の前頭部には同調したアルファー波が見られることから、意識は機敏に目覚めていることがわかる。
この安らいでいながらも機敏な状態は、他の瞑想法では見られない超越瞑想の独特の体験である。
超越瞑想による純粋意識の経験で、心の全潜在力を活用できるようになる
誘導瞑想は、ストレスの軽減、より積極的な思考、内面の成長など目指している。こうした効果を真に得るためには、想念やイメージの領域を超越して、心の最も深くにある純粋意識を経験することだ。その経験は、シンプルな超越瞑想の実践によって誰もが得られるもので、この経験によって人間は生まれながらにもっている心の全潜在力を活用することができるようになる。