ディア・プルーデンス「外に出て遊ばないかい?」

ディア・プルーデンス

部屋で静かに超越瞑想を行って、ジョン・レノンとポール・マッカートニーに曲を作らせた人物はプルーデンス以外にはいないだろう。インドのリシケシでプルーデンス・ファロー・ブランズが瞑想している時に、本当にそんなことが起こったのである。

プルーデンスは、ハリウッド女優のモーリン・オサリヴァンと映画監督のジョン・ファローの娘で、女優のミア・ファローは彼女の姉である。彼女がTMを始めたのは1966年に兄を訪ねてUCLAのサマーコースに参加した時のことだった。

彼女が屋外の太平洋を見下ろす絶壁に座り、瞑想の本を読んでいると、突然どこからともなく「もし瞑想に関心があるなら、君にふさわしい瞑想法を教えてあげよう」という声がやってきた。驚いて振り返ると、兄の友達で、ひょろっと背の高いピーター・ワレスがいた。彼は、彼女の膝の上に広げてあった瞑想の本を目にして、そう話しかけたのだ。

ピーターはちょうど6カ月間のインド滞在から帰ってきたばかりだった。有名な聖者であるアナンダモイ・マーと共にインドを旅していたとき、その聖者からマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーを紹介してもらい、そこで彼は超越瞑想を始めた。プルーデンスはピーターのインド話に魅了されたが、特に彼女の心を惹き付けたのは瞑想に関する彼の説明だった。

「私が最も感銘をうけたのは、超越瞑想のシンプルなところでした」とプルーデンスは語っている。「私はかねてから、様々な瞑想法について積極的に本を読み、試してきました。しかしそのほとんどが複雑で難しいものばかりでした。ピーターが内側深くに潜っていく単純で自然な瞑想法について話してくれた時、その瞑想法が本当によいものであることがわかりました。」

そして1968年に彼女はインドへと旅だった。その旅は、今では歴史的な出来事となっている。プルーデンスはインドでの滞在を振り返って次のように語っている。「それは私にとって本当に特別な時間でした。マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーという優れた指導者から直接指導を受け、瞑想を学べる機会は、人生で二度とありません。ですから私は講義や食事の後はすぐに自分の部屋に戻り、この貴重な時間から最大のものを得ようとしました。夜になると、ジョン、ジョージ、そしてポールはなんとなく集まって遊んだり、曲を作ったりしていました。」

「私の部屋は彼らの部屋の隣で、彼らの声が聞こえてきました。彼らは時々私の部屋にやってきて、新曲を演奏してくれましたが、思えば、彼らは私を元気づけようとしていたのでしょうね。彼らの気遣いは有り難かったけど、私は瞑想するためにむしろ一人になりたかったのです。」

ジョン・レノンとジョージ・ハリスンは後に、彼女を励まし、外に出て歌おうと彼女の部屋にギターを持ち込んだと話している。この時の生き生きとしたエピソードが「外に出て遊ばないかい?」とジョンが歌う「ディア・プルーデンス」のインスピレーションとなったのである。

リシケシを流れるガンジス川の辺に座るジョン・レノンとジョージ・ハリスン

ジョージ・ハリスンは後に、プルーデンスの曲を作ったことを彼女に語ったが、彼女自身、「ホワイト・アルバム」として知られている1968年の「ザ・ビートルズ」のアルバムが出るまで、曲を聞いたことがなかった。

プルーデンスは瞑想の実践に専念したことで、4ヶ月後にはコースを卒業し、超越瞑想を教える最年少の教師の一人となった。そして彼女は1970年に再びインドに行き、マハリシからさらなる指導を受けた。

それ以来、プルーデンスはアメリカやカナダで数千人の人々に超越瞑想を教えている。また彼女はサンスクリットの学者となり、カリフォルニア大学バークレー校より博士号を与えられ、またブロードウェイやハリウッドのプロデューサーとしても活躍した。

現在は夫のアルバートと共にフロリダの北西部で超越瞑想プログラムを教えている。3人の子供がいて、4人の孫に恵まれている。

原文:Keith Deboer