「ベルリンの壁崩壊の舞台裏」集合意識の高まりが社会を変革する

ベルリンの壁の崩壊

2009年11月にベルリンの壁の崩壊20周年の式典がドイツで行われた。ドイツのTM運動の指導者、エマニエル・シフキン博士は、この日、ベルリンの壁崩壊にまつわる、これまで知られていなかったエピソードについて語った。

「ベルリンの壁の崩壊は誰も予想していなかった」とシフキン博士は、述懐する。実際に20年周年記念の式典でも、ドイツの大統領が「それは奇跡的な出来事だった」と話していた。

ところが、この誰も予期しなかった事件の数ヶ月前に、TM運動の創設者マハリシは、ドイツに平和を生み出すためのプロジェクトを始めていた。インドでは、7000人のパンディット(ヴェーダの専門家)を集め、世界意識に調和を高めるための「ヤギャ」を行い、同時にドイツの瞑想者全員にサットワ(調和)プログラムに参加するよう呼びかけた。それは、毎日、数千人の瞑想者がTMセンターに集まってグループで瞑想を行い、国家全体に調和の影響を生み出すというプログラムである。ドイツにある60のセンターで、それが毎日行われていたのだ。

時を同じくして、東ドイツでは、市民が自由と平和を求めて毎週月曜日に教会に集まり、祈りを捧げた。これは「月曜日の祈り」と呼ばれるもので、その人数は、日増しに増えていった。平和の象徴として窓にロウソクが灯され、月曜の夜には、すべての家の窓にロウソクが灯されたという。

このような平和を求める雰囲気のなかで、ベルリンの壁の崩壊という奇跡が起こる。ウキペディアには、その事件の推移が次のように記されている。

「1989年11月9日の夕方、政権交代で混乱していた東ドイツ政府は、旅行自由化の法案を誤って発表してしまう。それがテレビで報道され、『すべての国境通過点から自由に出国できるようになる』と聞いた東ベルリン市民は、半信半疑で国境ゲートに集まり始めた。数時間後には、数万人にふくれあがった群衆が、門を開けるよう警備隊に要求し、『開けろ』コールが地鳴りのように鳴り響く。警備隊はついに群衆に屈して国境ゲートは開放され、東ドイツ市民は歓喜の中、西ベルリンへと雪崩れ込んだ。

西ベルリン市民もゲート付近に集まって彼らを迎え入れ、抱き合ったり、踊ったりして、歓迎した。そして翌日の朝には、どこからともなくハンマーや建設機械が持ち出され、ベルリンの壁が突如として取り壊されることになった。そして予想よりもはるかに早いスピードで、その翌年には東西ドイツが統一されることになる。このドイツ再統一の原動力となったのは、ベルリンの壁が崩壊した事によって生み出された『歓喜』と『感動』以外の何物でもなかった。」

人類の歴史を見てみると、社会の変革には紛争と流血がつきものだ。しかし、ドイツの再統一という大きな変革のきっかけとなったベルリンの壁の崩壊には、一滴の流血もなく、銃撃戦もなかった。この事件は、誰かが意図的に引き起こしたものではなく、その真の理由は、ドイツ国民の集合意識の高まりによるものである。

マハリシは「この出来事は自然の力によって為された」と語った。そして、ベルリンの壁崩壊20周年の式典でも、人々は「この奇跡は神によって為された」と感謝の祈りを捧げていた。

実のところ、インドにおける7000人のパンディットが「ヤギャ」を行い、西ドイツでは、数千人の瞑想者がグループ瞑想を行い、そして東ドイツ市民の平和の祈りによって、ドイツの集合意識に調和が高まっていた。それが自然の力を動かして、国民の悲願であった東西ドイツの統一が実現したのだ。そしてそれは、冷戦終結、ソ連の崩壊、東欧諸国の民主化、ヨーロッパの統合へと発展していった。

超越瞑想という意識の技術を通して、瞑想者たちは、静かに調和的に社会の変革を促している。このベルリンの壁の崩壊は、その一つの良い実例といえる。

超越瞑想とその上級テクニックのTMシディプログラムのグループ実践は、国家に強力な調和と同調をもたらすことが、これまで40以上の科学的研究によってくりかえし証明されている。