第二次世界大戦で硫黄島を飛び立った米国人パイロットが最後の任務を行った。日本が敗戦を宣言した直後のことだ。その帰りに猛烈な対空砲火を受け、以来、戦後20年間、戦争の記憶に悩まされる。彼が本当の意味で終戦を迎えることができたのは超越瞑想との出会いがあった。それから彼は生涯をかけて他の退役軍人を助けるために活動した。
彼の名はジェリー・イェリン。その物語は「Jerry’s Last Mission(ジェリーの最後のミッション)」という50分のドキュメンタリー映画となり、近日公開予定だ。以下は、「Military Times」に掲載されたジェリー・イェリンに関する記事の抄訳である。
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「Jerry’s Last Mission(ジェリーの最後のミッション)」というドキュメンタリー映画の中で、主人公のジェリー・イェリンは、列車の窓越しに日本の田舎の風景を見ながら、感心するような面持ちで「今、外を見ていると、私たちが敵だったなんて信じられない」とつぶやいていた。
70年ほど前、当時の陸軍第78戦闘飛行隊の大尉だったイェリンは、同じ田園地帯の上空で第二次世界大戦の最後の戦闘に参加していた。
1945年8月14日、イェリンは硫黄島を飛び立ち、日本の名古屋近郊の飛行場を空爆した。その際、日本の降伏を示す暗号である「ユタ」という言葉を聞くまで攻撃を続けるように指示されていた。それは彼の日本上空における19回目の任務だった。
その日、天皇陛下から降伏のメッセージが届いていたにもかかわらず、イェリンと19歳のパイロット、フィリップ・シュランバーグはそのニュースを受け取ることはなかった。二人のパイロットは、空爆を終えて硫黄島に戻る途中、激しい対空射撃に遭遇する。イェリンは厚い雲の中に身を隠し、対空射撃の射程外に出て、無事に帰還することができたが、シュランバーグはそうはいかなかった。
戦後約20年間、イェリンは自分だけが生き残ったことに罪悪感を感じ、最後の戦闘で受けた心的外傷後ストレスに苦しみ続けた。彼は一つの職場で仕事を続けることができず、12回以上、妻と4人の息子と一緒にアメリカやイスラエル各地を転々としていた。数十年の月日を経て1975年にやっと、彼は超越瞑想(TM)と出会い、心の安らぎを取り戻すことができた。
イェリンは2017年に亡くなるまで、退役軍人の心の傷を癒やすために支援活動を行ってきた。2010年には、デヴィッド・リンチ財団の一部門として「Operation Warrior Wellness」を共同設立し、PTSDに苦しむ退役軍人たちに超越瞑想を無償で提供する活動に携わっていた。
今、こうしたイェリンの物語が、58分のドキュメンタリー映画となっている。この映画の脚本・監督はルイーザ・メリノ、プロデューサーはメリッサ・ヒバード、オスカー受賞者エド・カニンガムだ。このイェリンの人生最後のミッションを記録したドキュメンタリー映画は、人間に備わる回復力や思いやりを描いている。
「HistoryNet」に掲載されたインタビューの中で、イェリンの息子のマイケルとスティーブン、そして監督のルイーザ・メリノは、超越瞑想によるイェリンの人生の変換を次のように話している。
──あなたのお父さんは、子供たちとの関係において、PTSDのために感情的になっていたことなどを率直に語っていました。あなたの子供時代はどのようでしたか? 超越瞑想はそのギャップをどのように埋めたのでしょうか?
スティーブン・イェリン:多くの面で彼はとても良い父親でしたが、何かが間違っている、何かが欠けていると感じていました。彼は父親として多くの立派な資質を備えていましたが、内側には何か虚しさを抱えていて、深いつながりを築くことができなかったのです。彼は自分自身に自信が持てず、自分の人生の方向性を見失っているようでした。
戦争体験が彼にどのような影響を与えたのか、私たちにはわかりません。彼がそれについて話すことはなかったからです。彼の戦争体験は、私たちの想像をはるかに超えていました。信じられないかもしれませんが、彼が30年間、自殺を考えていたなんて、映画を見て初めて聞いた話です。びっくりすると同時に、とてもショックでした。彼が自殺を考えていたとは思いもしませんでした。
超越瞑想を学んだ後の彼の55年間の人生を考えてみると、それ以前の人生と、想像を絶するほどの違いがあります。彼が亡くなったとき、とても幸せそうで、満たされた状態でした。彼は心の中の悪魔を追い払い、硫黄島の記憶から解放され、完全な変容を遂げたのです。それは一人の人間の驚くべき変容です。
──太平洋戦争から戻ってきた退役軍人の大半は、日本に関わりのあるものを拒否してきました。しかし、あなたのお兄さんのロバートは日本人女性と結婚し、彼女の父親は戦時中に神風特攻隊のパイロットだったそうですね。そのことを、お父さんはどのように感じていましたか? 彼のPTSDの治癒過程にどのような影響を与えたと思いますか?
スティーブン・イェリン:PTSDであっても、父には大きな思いやりと柔軟性がありました。もちろん、それは超越瞑想の実践によって培われたものです。父は何度も私に言っていました。「もし瞑想を始めていなかったら、私はずっと前に死んでいただろう。戦争の記憶がずっと残っていて、私の心は崩壊していたに違いない」と。兄の結婚に最初は少し困惑していたようですが、父には変化に対応できる柔軟さがありました。
マイケル・イェリン:父は、他の人に対する温かさを持っていました。フロリダに住んでいた頃、1960年代から70年代にかけてヒッチハイクをする人が多かったのですが、父はよく彼らを車にのせて、家に連れてきたものです。彼には人とつながる能力があり、それは本当に特別なものでした。
ルイーザ・メリノ:私は彼に、どのようにして日本人を受け入れることができたのか尋ねたことがあります。ロバートが日本に移住する前に、彼は超越瞑想を学んでいたので、日本を訪れることは、それほど痛烈な体験ではなかったということです。その頃には、彼の心はずいぶん癒やされていて、PTSDの影響は弱まっていたのだと思います。
──ジェリーは退役軍人が超越瞑想を学ぶのを支援する組織『Operation Warrior Wellness』を共同設立しました。うつ病とPTSDに苦しんでいる退役軍人への彼のメッセージは何でしたか?
スティーブン・イェリン:それは「超越瞑想を学ぼう!」という、とてもシンプルなものです。父は退役軍人に超越瞑想を勧めることにとても熱心でした。彼は「今日は21人の自殺者が出たが、私たちはそれを防ぐことができる。それは私たちの責任だ」と言っていました。父は自分自身のPTSDを克服した経験を生かして、できる限り支援をしたいと強く感じていたのです。
──ルイーザは、どのようにしてジェリーと出会ったのですか?
ルイーザ・メリノ:ジェリーとはプールで出会いました(笑)。当時、私はアメリカ中西部のアイオワ州フェアフィールドという超越瞑想のメッカのような町に住んでいたのです。私がプールを一往復、泳ぎ終えたとき、彼がプールの中を歩いているのを見かけました。実際、彼は毎日30分ほど水の中を歩いていたので、ふと彼のところに行って、話をしてみたくなったのです。
彼は自分の経験を短く話してくれましたが、二つの点で私は深い感銘を受けました。一つは、彼が経験した人生の変換が素晴らしかったことと、もう一つは、彼が自分の人生に喜びを感じていたことです。それをきっかけに私たちは仲良くなり、すぐに撮影を始めました。
私はいつも、彼の生きる姿勢や人間性から大きなインスピレーションを受けていました。それは私だけでなく、彼のメッセージを聞いた人々にもインスピレーションを与えることになると思ったのです。それが私を駆り立てた最初の動機でした。その後で、「どのようにして、それをまとめようか」ということになったのです。
──マイケルとスティーブン、お父さんの姿をスクリーンで見て、どのように感じましたか?
マイケル・イェリン:信じられないほど感激しました。第二次世界大戦の退役軍人が行ったことに対して、ただただ畏敬の念を抱いています。父が戦闘機に乗って硫黄島に向かったことを考えるたびに、心が揺さぶられます。父は戦争がどのようなものであるかを知り、地獄のような経験をしました。そして、それを乗り越えて、希望のメッセージを伝えようとしたのです。希望、平和、和解のメッセージを持つことは、父にとってとても重要なことでしたが、それは私にとっても重要なことです。
スティーブン・イェリン:彼は、とても偉大な人だと感じました。私の父だからというだけでなく、何か普遍性と偉大さがありました。彼は人々の心に影響を与えて、その枠を拡大し、囚人のように拘束された状態から彼らを解放したかったのです。
こうした映画を制作してくれたルイーザに、私たちはとても感謝しています。
「Jerry’s Last Mission(ジェリーの最後のミッション)」について詳しくは、リンク先のサイトをご覧ください。
ソース:‘Jerry’s Last Mission’: How WWII’s last combat pilot became a lifelong testament of the human spirit