知識の基盤は自分自身──意識がはっきりとすれば、勉強は面白くなる!

現代教育に欠けているもの、それは自分自身についての学習だ。生徒は、さまざまな知識について学んでいるが、自分自身のことは何も知らない。「私」とは一体何だろうか? 自分はなぜ存在するのか? もし自分自身について知ることなく、自分以外のものについて学んでも、生徒の心は決して満たされないだろうとマハリシは語っている。

1973年にテキサス州ヒューストンで行われたアメリカ高等教育協会の会議で、マハリシは、自分自身(認識者)について知ることの重要性を強調していた。以下は、その最初のさわりの部分。

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マハリシ:知識には二つの側面があります。客体の知識と主体の知識です。現在の教育が提供しているのは、客体に関する知識です。そして、教育に欠けているものは、主体に関する知識、認識者に関する知識です。

知識の川の流れには、二つの岸があります。一方は客体であり、もう一方は認識者です。認識者と客体という、二つの参照点がありますが、そのうちの最初の参照点は認識者です。認識者は非常に重要です。なぜなら知識を知ることは、認識者がどのようであるかに依存しているからです。心が鈍くて、認識者が眠たいときと、朝、その人が十分に目覚めていて、新鮮なときとでは、得られる知識は異なります。知覚は異なり、理解は異なり、感情は異なります。

意識状態が異なると、知識は異なります。それは非常に明確です。私たちはそれを、自分自身の体験から知っています。

教育が提供するものは、物理学、化学、生物学、天文学など、物質的な価値に関する知識です。異なる学問分野は、生命の異なる領域に関する情報を提供しています。それらはすべて正しく、間違っていませんが、そうした教育は認識者の知識を提供していません。

認識者の知識がなく、認識者が自分自身に関して無知であるとき、それは知識の構造全体が基盤を失った状態です。

知識の基盤とは、認識者の意識であり、認識者それ自身です。ですから、もし認識者が暗闇の中にいると、つまり認識者が自分自身を知らないと、知識の構造全体、知識の領域全体は、その基盤を失った状態となります。それは非常に明らかです。そのような基盤のない知識は、満足をもたらすことはありません。

現在の教育がもたらす知識は、満足をもたらしません。それは何かしら優れた価値をもっていますが、その価値は生命の客観的なレベルにあるものであり、生命の主観的な価値を見失っています。ですからその人の心は満たされません。

教育の恩恵、知識の恩恵は、生命の客観的な領域に進歩をもたらします。進歩が起こります。教育が専門とするどのような領域にも、喜びがあります。教育は、客体に関する知識を提供することを専門にしています。それによって、客体の領域に進歩を生み出しますが、教育は主体の領域に触れることはありません。そのために、主体の領域、認識者の領域について知ることはありません。ですから、今こそ、すべての学問分野の知識と共に、認識者に関する知識を提供すべきなのです。

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意識に基づく教育は、世界中の学校で採用されている。それらの学校では、認識者に関する知識を得るための技術、超越瞑想の実践が、毎日のカリキュラムの一部となっている。