心のノイズが消えると、面白いように曲が作れる

1972年、ミシガン大学の一年生だった私は、その学年末に、躊躇と懐疑を抱きながらも、友人から勧められていた超越瞑想のテクニックを習った。そして、まさに最初の瞑想のとき、落ち着きの感覚と完全な平和と静寂が私を包みこんだのを、今でも思い出すことができる。

心のノイズを一掃する

私は長年、幅広い聴衆の心を動かす音楽を作ること、旅行すること、そしてこの経験を分かち合うパートナーを得ることを夢見てきた。しかし、短い作品を作ることさえ難しく、ピアノの練習をしているときも、浮かんでくるとりとめのない想いのために邪魔されていた。

その夏、TM(超越瞑想)を習った後、私は連作歌曲の小品を作り、それが私の作曲家としてのキャリアの本当の始まりになった。私はその作品のことをずっと考えていたのだが、実現させることができなかった。しかし突然、創作のプロセスが面白くなり、その曲を楽に生み出すことができた。なにか邪魔があるときでも、今では心の中のノイズを取り除いたり、生み出したいものの核心に迫る手段があることが感じられた。規則的なTMを何年も続けるにつれて、作曲が容易になって曲が流れ出てくる感覚が着実に増していった。

 

シアトル国際映画祭で演奏するドナルド・ソシン(スタッフによる撮影)

 無声映画の即興伴奏

それと同時に、キャンパスで上映される無声映画のためのピアノ演奏を始めたのだが、これらの古典映画に即興で伴奏する私の能力が高まっているのがわかった。私はニューヨークの近代美術館からの誘いを受けて、そこで上映される無声映画の伴奏を行った。大学卒業後、私はニューヨークに引っ越し、オフ・オフ・ブロードウェイ・ショー(ニューヨーク市の小ホール・喫茶店などで上演される超前衛演劇)のための即興演奏をする仕事を得た。また、近代美術館の子供向けミュージカルの制作を依頼され、その他のショーの音楽監督も行った。

私は時々、週末レジデンスコース(宿泊して特別なプログラムを行うコース)に参加して、自分のTMの実践を深めるとともに、TMプログラムの創始者マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの教えについての理解を深めた。ブロードウェイで演奏し、歌手のコーチをする、というように、一つのことがまた次のことに繋がっていった。私はワーナー・ブラザーズの、後にはハル・レオナルド音楽出版会社のシートミュージックを編曲する仕事を始めた。ジョージ・ハリスンやボブ・ディランから、ジョニ・ミッチェル、アート・ガーファンクルに至るまで、全部で約1800曲の編曲を行った。

TMの実践を深める

1978年、TMシディコース(上級のコース)を受講できる機会が訪れたとき、私は、イスラエルに行くための二カ月の休職を上司に願い出た。彼が承諾してくれたので、私の人生の新しい段階が始まり、毎日のTMの実践の時間が増えるとともに、喜びと成就のレベルが絶え間なく高まっていった。私はマンハッタンで「フライヤー合唱団」を設立し、瞑想の側面をテーマにした真面目な曲も、おふざけの曲も作った。ニューヨークの近代美術館やその他の場所での無声映画の伴奏も続けていて、この職業の頂点に昇り詰めた。

 

ドナルド・ソシンとジョアンナ・シートン(ニコラス・ソシン撮影)

1980年に二番目の妻となるジョアンナ・シートンと出会い、1987年に結婚した。私たちは一緒に曲を作り、作詞作曲を教え、パーティで接待をし、彼女は女優&歌手として、私は音楽ディレクターとして、いくつものショーに一緒に取り組んだ。彼女もTMを習った。1989年に私たちの息子が生まれ、その一年後、もっと静かで、清浄で、安全な田舎に移転することにした。私たちはコネチカット北西部の小さな町を選び、その選択を有効に生かせることを確信した。

素晴らしいテクニカラーのツアー

私の無声映画の仕事は、ニューヨーク市全域、さらにアメリカ中の他の場所にも広がった。そしてイタリアからも招かれて、そこで1993年にジョアンナと私は初めて演奏を行った。これらの仕事の多くは、少しも苦労しないで、計画を立てることもなく、マネージャーさえも雇わずに行われた。1994年に私たちの友人の一人から、『ヨセフ・アンド・ザ・アメージング・テクニカラー・ドリームコート(ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート)』というミュージカルのブロードウェイ・ツアーに向けて全米各地で子供たちに実技指導をする予定があるという話を聞いた。ジョアンナと私はその仕事に応募し、ベビーシッターを雇って、14カ月で26都市を巡るアドベンチャーに出発し、1000人以上の子供たちを相手に仕事をして楽しい時間を過ごした。

戻った後も、私たちは教えることと作曲することを続けた。無声映画祭に出席するためのイタリア旅行は私にとって毎年恒例のイベントとなり、それに加えて、毎年夏には別のフェスティバルのために家族全員でボローニャに旅行している。ジョアンナと私は無声映画のDVD化のために音楽を録音する仕事も始めた。

立ち直りの速い健康と拡大していく幸福

私たちは二人とも瞑想を続けていて、私たちの仕事と結婚生活での充実感が絶え間なく増しているのを感じている。そこに至るまでには大変なことも色々あったが、TMの実践が私の人生を安定させる大きな力になり続けていることを感じている。私がTMを始めた後、私の両親、妹、叔母、従兄弟も瞑想をするようになった。過去45年間のほとんどの期間、私は健康を維持している。

 

2015年の韓国のチェチョン国際音楽映画祭に出席したドナルド・ソシンと、妻のジョアンナ・シートン、息子のニコラス、娘のモリー(スタッフによる撮影)

私が前立腺癌になったときや、その後に脳に腫瘍ができたときも、まったく合併症を起こさずに速やかに回復できた。出会った人々に私が65歳であることを信じてもらえず、たいていは50歳くらいに思われていた。私たちは二人目の子供が欲しかったが、長年その願いは叶えられなかったので、ジョアンナは体外受精を受けることを決意をし、2010年に私たちの素晴らしい娘が生まれた。看護師たちはジョアンナが当時61歳であったことを信じられなかった。

さらに時代は流れて私の仕事の最高の年となった2016年に至った。この年、さらに多くのDVD制作とTV上映を手がけ、また、ボローニャのブラウン大学から依頼されて作曲した三つの無声映画の音楽がそこでオーケストラ演奏され、さらには、ウクライナのオデッサ国際映画祭で一万人以上の聴衆の前で私の作曲した映画音楽がオーケストラ演奏された。

それらの仕事はいつでもスムーズに運んだというわけではないが、TMと上級のTMシディプログラムを毎日実践していたおかげで、私の仕事で創造性が途切れることなく発揮され、私の家庭生活でも幸福が拡大したことに少しも疑いの余地がない。私たちの子供は二人ともTMを習った。息子は長いあいだ興味を示さなかったが昨年ついにTMを始めて、こう言った。「僕は成長したんだ」と。

長年瞑想を続けてきた結果として、私の職業と家庭生活にもたらされたすべての祝福に、そして精神性の深い満足に感謝して、私は申し上げたい。

2016年7月16日のオデッサ国際映画祭において、1916年の無声映画『シャーロック・ホームズ』のためにドナルド・ソシンが作曲したオーケストラ演奏曲の野外初演を一万人以上の聴衆が鑑賞した。指揮者イゴール・シャブルクとオーケストラが見守る中で「オデッサの階段」に集まった聴衆に感謝を捧げるソシン(写真はドナルド・ソシン提供)

◆ドナルド・ソシンが『シャーロック・ホームズ』のために作った曲「オデッサの階段」での演奏(1分38秒)

Source:“Asleep Versions: Jon Hopkins talks transcendental meditation, Twin Peaks and more,” By Donald Sosin, Enjoy TMnews