瞑想──忙しい日常でも楽しめる、深い休息と至福

以前、ニューヨークタイムズに掲載された記事『静寂の喜び』では、「静寂の時間」をもつ重要性と喜びについて語られていた。「静寂の時間」とは、慌ただしい活動的な世界から離れたひとときのことで、人々が休息やリクリエーションのために時間をとることは何も新しいことではなかった。しかし、最近、多くの人々が自分自身の静寂の時間を見つけることに、以前にも増して魅力を感じているようだ。

50年以上前に、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが、西洋社会に初めて超越瞑想を紹介したとき、熱心な聴講者に「休息は活動の基盤である」と話した。そのときは、多くの人がいぶかしげな顔をしていた。もちろん、私たちはみな、休息や夜の睡眠の重要性について知っていたが、いかに活動が休息に基づいているか十分には理解していなかった。そのとき、マハリシは、休息によって活力を取り戻すためには、生理の活動を完全に静めるような休息が必要だと説明した。そして、超越瞑想がもたらす深い休息とは、生理が完全に休んでいると同時に、脳の右半球と左半球、前頭部と後頭部が同調して機能する状態であると話した。

このような新しい休息が、「静寂の喜び」を見事に表している。私たちは、日常の忙しい生活から離れて、静かな時間を楽しみたい、例えば休暇を取って素晴らしい自然環境のなかで過ごしたいと望んでいる。そのような休暇と同じ至福と充実感が、目を閉じて、瞑想を始めるだけで、私たちのものとなる。超越瞑想による特別な休息は、常に増していく至福の波、最も深い満足感として体験される。それは意識の拡大、枠のない状態の体験である。

真の「静寂の喜び」は、最も深い休息と、最も深い至福の両方をもたらしてくれる。そして、超越瞑想は、瞑想中に「静寂の喜び」を与えるだけでなく、瞑想後の活動中にも「静寂の喜び」を与えてくれるのだ。毎日規則的に、自分自身の内側に深く飛び込む習慣を身に付けていくにつれて、最も躍動的な活動の最中にも、「静寂の喜び」を生き始めるようになる。これこそ生きるに値する人生だ。

原文・Gary Kaplan