タワーカンパニーが目指すゴールは、住む人が幸福になり、健康になる建物を建てること。しかしそれだけではない。自らの企業で働く従業員の健康と幸福を高めることにも熱心だ。このような理想的な経営を行っている経営者ジェフリー・アブラムソンをベテスダマガジンが取材を行い、彼がもつ普通とは違った視点について報告している。以下はその記事の抄訳。
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ジェフリー・アブラムソンが10才の頃、ワシントンの北西地区にあるシェパード小学校に通っていた。学校の窓から外を見渡すと、2~3区画離れたところに、木々の上にそびえ立つマンション群が見えた。それは、彼の父アルバート・サニー・アブラムソンが建設したもので、ブレアズと呼ばれていた。「そのとき初めて、私は不動産というものを実感した」と彼は思い起こす。
それ以来、彼はたくさんのことを学んできた。今、62才のジェフリーは、2人の兄ロナルドとゲイリーと共に、父親が始めた会社タワーカンパニーの経営者だ。父親は3年前に亡くなったが、小さな頃に教室の窓から目にした都市開発プロジェクトに、彼らは再び取りかかった。「都市のなかの都市」と呼ばれる27エーカー(約11ヘクタール)の敷地には、アパート、マンション、公園や庭園、商店やレストランが立ち並んでいる。
マルチ・ハウジングニュースは、ブレアズを「モンゴメリー郡の歴史上、最も大規模な再開発運動」と呼んだ。しかし、このプロジェクトの意義は、その建築の規模よりも大きく、住む人の心まで扱っている。ただ単に住む場所を作るのではなく、人はどのように生きるべきかを考慮しているのだ。アブラムソンは、壮大な夢をもつ男だ。「自然法と調和した建物」を建てれば、住む人の気持ちや考えさえも改善できると彼は信じている。そして、彼の会社が触媒となって、不動産産業全体が変わることを望んでいるのだ。
彼が作ろうとしている建物の実例は、タワーカンパニーの本社ビルを見れば、すぐわかる。まず最初に気づくのは、駐車場がとてもきれいなことだ。これまで見た中で最も清潔な駐車場だった。そこには電気自動車を充電するスタンドがいくつかあり、その一つに、アブラムソンの小さな白いシボレー・ボルトがつながっている。
ビルの最上階は、太陽の光が四方八方から流れ込む。「日光は無料です」とアブラムソンは話していた。建物のどの部屋からも周囲の景色が一望でき、「ここは木の上の小屋だ」と彼は語っている。
この非常に設備の整った木の上の小屋は、屋内ガーデンがあり、再利用できる建築資材で建てられいて、シェフが菜食ランチを作っているキッチンもある。タワーカンパニーは、これまでに環境保全に関連する賞を数多く受賞してきた。しかし、彼が目指す真のゴールは、環境にやさしい建物を建てるだけでなく、そこに住む人が健康で幸せになる建物を建てること、そして、従業員の健康と幸福を高めることだ、とアブラムソンは話す。そして、経費の85パーセントを従業員の給与に当てているのは、彼らが重要な「人的資本」であるからだ。
タワーカンパニーでは、経営陣も含めて、すべての従業員が万歩計を付けていた。そして、私たちの会話が数時間におよぶと、彼の万歩計が点滅して「少し歩きましょう」というメッセージが表示される。それを見た彼は「座っている時間が長すぎましたね」とつぶやいた。
他にも、従業員が個人的に体重や血圧を計測する部屋があり、一人ひとりが自分の目標を達成すると賞が与えられるという。また別の場所には、瞑想のための部屋がある。多くの従業員が、仕事を終えて帰りの交通渋滞に巻き込まれる前に、好んでそこで瞑想しているとアブラムソンは話した。瞑想すると仕事の疲れがとれるので、「豊かな気持ちで家に帰り、家族との団らんを楽しむことができる」そうだ。
それによって、会社もより豊かになっていく。従業員の健康が増すと、仕事の効率が上がり、保険料が下がるからだ。従業員の健康を高めることは、重要な経営戦略の一つである。「正しいことをしていれば、最終的には収益が上がるものだ」と彼は語る。
この地域でアブラムソン一家の成功物語が始まったのは、1920年代にアブラムソンの祖父がニューヨークからワシントンに移ってきて衣類店を開いたときだった。彼の父サニーは法律の学位を取得して、第二次世界大戦中は空軍の大尉にまでなったが、家に戻ってからの彼の未来は厳しいものだった。
「彼は弁護士であり、一人の顧客がいましたが、その顧客は亡くなっていたのです」とアブラムソンは語った。
アブラムソンの母ラスは、戦争中に政府の職員として働き、3000ドルのお金を貯めていた。それが一家の全財産だった。ある日、サニーは一人の友達から、たった今、新居の契約書にサインして、500ドルの前金を支払ったという話を聞く。
戦後のワシントンは住居が不足していたので、その場でサニーは彼に500ドルの利益を上乗せして、その契約を買い取りたいと申し出た。
友達に1000ドルの小切手を渡した後、彼はぼうぜんとした状態で通りをぶらついていたと彼の息子は話している。「父は、母に相談もせずに、まだ見てもいない物件に全財産の3分の1を使ってしまったです。」
しかし、その若い弁護士は、学ぶのが速かった。彼は、その契約を1500ドルで別の友人に売り渡して、500ドルの利益を手にしたのだ。「そのとき、不動産業を始めようと決めたんだ」と彼は息子にそう語っていた。
それは良い選択だった。サニーは家を建て始めた。それから、大手の食料雑貨チェーンと提携して、ショッピングセンターを建設した。さらに、ワシントン・ナショナルズの所有者であるラーナー家とも提携を結び、市街地のオフィスビルや郊外のショッピングセンターを建設した。
その頃、若いジェフリーは学校がつまらなくてしかたがなかった。彼は時々、高校の授業をサボっては、バスにのって国会議事堂まで出かけていった。「そこは面白かったから」と彼は言う。
卒業後、彼は大学に行くのを止めて、公共テレビ局WETAで働くことにした。そして、20才のときに、彼は友達から小さな小冊子を受け取る。それが彼の人生を変えることになった。
その小冊子には、自然な心のテクニックである超越瞑想(TM)の効果が書かれていた。アブラムソンの説明によると、超越瞑想は、生命の最も奥深くにある、最も静かで最も深遠な領域に触れるためのテクニックであるという。
彼にとって、1972年という年は、探し求めて動き回る、変化と混乱のときだった。「これは学校では得ることができなかったものだ。これこそが自分が求めていたものだ。そう心のなかでつぶやいたことを憶えています。」と彼は当時を振り返る。
そのテクニックを学んで一年後に、彼は超越瞑想の教師となった。それから彼は、スイスに本部がある世界的なTM運動の一員となり、インド人の瞑想の教師マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの影響を受けた。世界中を回って活動していた彼は、モントリオールでTMを教えることもあった。そこで、妻のローナと出会う。彼女は同僚のTM教師だった。しかし、時が経つとともに、家族のもとに帰らなくてはならない状況がやってくる。
彼の父は、3人の息子に等しく、彼の巨大な不動産帝国を受け渡し、共同経営者にした。ジェフリーは1993年に同族会社の経営に加わったが、仕事に馴染むのは簡単でなかった。「会社のなかで自分の居場所を見つけるに、時間がかかった」と彼は言う。
しかし今では、自分の仕事にやりがいを見いだした。彼の人生には、両立しないように思える多くの異なる面が混ざり合っている。彼は1日2回瞑想するやり手の経営者であり、莫大な富をもちながら、彼の乗っている車は3年も経った小型の電気自動車だ。東ヨーロッパからやってきた信心深いユダヤ人の息子が、アイオワ州の片田舎にあるマハリシ経営大学に巨額の寄付をしている。そこは、インド人のマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが提唱する教育法を取り入れている大学だ。
しかし、ジェフリー・アブラムソンにとっては何の矛盾もなく、それらはすべてつながりあっている。彼は常に窓の外を見て、他の人が見逃しているものを見つけてきたのだ。