「成功ほど、成功を生むものはない」という諺がある。私は、ここで二つの成功談を紹介したい。一つは小さな成功。もう一つは、考え方を根本から変えるかも知れない大きな成功だ。
小さな成功は、私自身が日々実践している瞑想に関わるものだ。瞑想を始めたのは30年前で今日まで続けている。
3つのクラスで90人~250人程度の学生を教える若手の助教授であった私は、会議論文の執筆、山と積まれた学生の小論文の採点、学生との面接、いくつもの教授会への出席に悪戦苦闘しながら、より多くの仕事をより上手に処理しなければならないという絶え間ないプレッシャーの下でストレスに苦しんでいた。つまり、私はストレスでイライラし、疲れ果て、短気になり、慢性的な不安を抱えていた。どうにか、こうにか仕事をこなしてはいたが、もうギリギリ限界までにきていた。
そんな日々を送っていた頃。シーダーフォールズにはサードストリートとメインストリートが交差するあたりにTMセンターがあり、何人かの友人が異口同音に私にTM(超越瞑想)を試してはどうかと勧めてくれた。
試してみると、効果があった。1日2回の瞑想を何日か続けるうちに、私はリラックスを感じるようになり、そして安らぎを感じ、さらには紛れもない至福を感じた。まあ、そこまでいかないとしても、それに近いものがあった。
そして、その感じは続いたわけだが、誰よりも驚いたのはこの私だった。
私は長年、瞑想のワークショップに参加して自分の瞑想のやり方を若干修正しながら、今でも1日2回、20分間の瞑想を続けている。それによりストレスの程度がまったく違ってくるので、もうすぐ72歳になる今でも私は元気ハツラツとしている。
規則的に脳を沈静させたおかげで、長年の間、私はより多くのことをより上手にこなすことができた、と確信している。それこそ瞑想の効果だ。瞑想をしていれば、常に忙しく動き回る私たちの脳を静かにさせることができるのだ。
自分の手に負えない多忙な仕事に重圧を感じている人には、何らかの瞑想を始めることをお勧めしたい。それが私に役に立ったのなら、あなたにも役に立つだろう。
さて、私個人のささやかな人生を超えたところで、最近全国的なニュースになった、もっとずっと大きな瞑想の成功談がある。
サンフランシスコのビジテーションバレー・ミドル・スクールでは、2007年に、全校一斉に1日2回の休憩をとる「静寂の時間」というプログラムを開始した。この特殊な学校は、治安の悪い、暴力的でさえある地区の中にある。出席率、学業成績、教師と生徒が学校に留まる割合は最悪であった。
教師も生徒も無秩序な学校生活に嫌気がさしていた。つまり、その学校には失敗する以外に進む道がまったくなかったのだ。
7年間が過ぎた現在、その学校の「静寂の時間」は成功していると評価できる。その成功は劇的であり、学校全体に及び、自信をもたらすものであった。カリフォルニア大学バークレー校のデビッド・カープ公共政策教授はこの結果について次のように語っている。
「『静寂の時間』を導入した最初の1年で停学数が45%減少しました。そして4年以内に停学率は市内の学校の中で最も低くなりました。毎日の出席率は98%まで増加し、市全体の平均を大幅に上回ったのです。成績平均点も著しい向上を示し、卒業生の20%がローウェル・ハイスクールに入学しました。『静寂の時間』の導入前は、生徒がこの優秀なハイスクールに入学するのは稀なことだったのです。さらに驚いたことに、カリフォルニアで毎年実施される生徒健全度調査の幸福レベルの指標において、このミドル・スクールの生徒たちはサンフランシスコの最高点を記録しました。」
これは驚きではあるが、事実である。カープ教授はさらに続ける。
「カリフォルニアの学習到達度試験において、『静寂の時間』を導入している学校は、そのプログラムを導入していない類似条件の学校と比較すると、英語では2倍の人数の生徒が高い到達度を示し、数学ではさらにその差を拡げています。教師たちは、生徒の精神的疲労が減少し、立ち直りが早くなったと報告しています。」
ついでに言えば、生徒たちはTMの実習を強制されているわけではない。彼らは、その2回の15分間を静かにしてさえいれば、ただ目を閉じて空想にふけったり、うたた寝をしててもよい。
生徒が瞑想を習うことを希望した場合、父兄から許可を得る必要がある。
反対意見を耳にすることはある。貴重な授業時間の浪費であるとか、ヒッピーの世界への逆戻りだとか、州立学校で宗教的実践が強要されているとかの批判である。これらのすべての反対意見に対しては、十分に説得力のある回答がなされているように思える。父兄の許可を得て7年間続けられたこのプログラムの成功がその回答を雄弁に語っているからだ。
なんと言っても、「静寂の時間」は事実上費用がかからないし、(実際のデータに基づけば)それは学校全体にとても肯定的な影響を与えている。少なくともそこは注目に値する点だ。
私個人のささやかな成功談では、私に無条件の支援が与えられている。そして、学校の生徒たちには、もっとずっと大きな力が与えられている。