ヨーガへの大きな誤解【瞑想の歴史/ヨガ】

えつこ

ヨーガは、健康やダイエットのために女性の間で根強い人気がありますが、同時に誤解の多い言葉です。今回は、瞑想の歴史に触れながら、ヨーガとは何か、そして サマーディ(純粋意識)に到達するためのプロセスについて見ていきます。

ヨーガ(ヨガ)とは、サンスクリット語で「統一」という意味

ヨーガとは、サンスクリット語で「統一」という意味であり、それは、個人と宇宙を統一した至高の生命を示すものだ。ヨーガは、体を柔らかくするための姿勢ではなく、それによって到達した境地のことを言う。ヨーガを実現した人は、行動による束縛から解放され、人間にもともと備わっている潜在力──あらゆる可能性を自由に生きられるようになる。それは、精神性の極みであり、古くから「悟り」と呼ばれる、人間性と神性との統一だ。

50年前、聖人マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが超越瞑想(TM瞑想)を教えるために最初の世界ツアーに出発したとき、西洋では、ヨーガについてほとんど知られていなかった。

『タイム』誌によると「米国でヨーガへの関心が爆発的に高まったのは、マハリシが米国で古代ヴェーダの叡智を復活させたことがきっかけであり、今日のヨーガの絶大な人気はマハリシの功績によるものだ」と書いている。事実、マハリシの超越瞑想とヨーガのフライングを含むTMシディプログラムは、ヨーガ、すなわち統一を実現するための実践法として知られている。

ヨーガ(ヨガ)に関する誤った解釈

ヨーガの状態は、インドに古くから伝わる「ヨーガ・スートラ」によって明らかにされている。そのなかで著者パタンジャリは、ヨーガを実現するための8つの実践──アシュタンガ・ヨーガについて説いている。

一般に、ヨーガとは、体の姿勢を整えるアーサナのことを意味するが、アーサナは、アシュタンガ・ヨーガ(ヨーガの8つの手足)の一つに過ぎない。マハリシによれば、アシュタンガ・ヨーガという言葉の意味は、遠い昔から誤って解釈されてきたという。

パタンジャリは、ヨーガの8つの手足について、体の手足が一つの体を形づくっているのと同じように、ヨーガの8つの手足も互いにつながりあっていると述べている。ところが、インドや西洋の注釈家たちは、このヨーガの8つの体系を、最終的にヨーガに至るための8つの段階であると解釈してきた。

そのため、熱望を抱く人々は、この8つの階段の一番下の段階から踏み出して、いつの日か8段階目のサマーディ(ヨーガ)の状態に到達するまで、ゆっくりと、うんざりするほどの時間をかけて、上の段階へと登っていくように勧められてきた。この観点から見た8つの段階のなかで、アーサナ(身体の姿勢)が、他の段階を覆い隠すほど大きな人気を得たため、それが今日、ヨーガとして知られるようになった。

一方、ヴェーダの叡智に対するマハリシの洞察は、ヨーガをすっぽりと覆っていたこのような誤った解釈を変えるものだった。マハリシは、テーブルの例えを使って次のように説明している。ヨーガの8つの手足は、テーブルの脚のようにつながっていて、一本の脚を引っ張りさえすれば、テーブル全体がそれについてくる。もし、ある脚が他の脚よりも引っ張りやすければ、その最も引っ張りやすい脚を引っ張ることで、最小の時間と労力で目的を達成することができるという。

体より心を曲げる方が簡単

体は重くて、固くて、有形の物質であるから、その体を曲げるには、忍耐強く努力と訓練を重ねる必要がある。そのため、アーサナの実践によってヨーガを実現するためには、非常に長い年月をかけて、それだけに専心しなければならない。

一方、体と比べて、心は、はるかに柔軟だ。例えば、私たちは誰でも、自分の思いや想像する世界のなかで瞬く間にどこにでも行けるし、どんなことでも成し遂げることができる。心は無形のものであるから、心をその源の方向に向くように「曲げる」のは、とても簡単だ。心の源とは、純粋意識、サマーディ、ヨーガの状態である。心は本質的に柔軟なので、ひとたび適切なテクニックを学べば、自然にそして自発的に、心は「サマーディ(ヨーガ)」へと向かっていく。

瞑想によってもたらされるサマーディ(純粋意識)の体験

心をサマーディへと向けるテクニック、それがヴェーダの伝統に由来する超越瞑想だ。超越瞑想は、より大きな幸福を求めるという心の自然な傾向を利用して、心を内側へと向かわせる。すると、心は徐々に、より静かで落ち着いた状態を経験し始め、やがて完全に落ち着いた状態、超越意識──すなわちサマーディに至る。

サマーディ: 絶対的な静寂、無限の平和、完全に満ち足りた至福の領域

サマーディの経験は、個人と宇宙との統一、すなわちヨーガの意識状態をもたらす。超越瞑想という、努力の要らない──しかも楽しい──方法を、毎日二回、短時間行うことで、実践者は、ヨーガにしっかりと確立し、悟りへと高まっていくことができる。

超越瞑想を規則的に行い、サマーディを体験し始めると、ヨーガのその他の手足すべてが自然についてくる。テーブルの脚がいっせいに動くのと同じように、最も重要な手足であるサマーディの体験を繰り返すことによって、ヨーガの8つの手足が同時に成長するのだ。

超越瞑想と日常の活動を交互に繰り返すことによって、心が活動的であるときでさえも深い静寂──サマーディが安定するようになる。その結果、人は、変化の波に翻弄されることなく、人生のあらゆる面を真に楽しむようになっていく。それは問題や苦しみから解放された至福の人生である。

世界中でヨーガの人気が高まっているのは、人間が本来もっているすべての潜在力を得たいという、自然な願望の表れに違いない。あなた自身の最高の状態を得たければ、まずサマーディを経験することだ。そうすれば、例え、あなたが熱心なヨーガの実践者であれ、机上の空論のヨーギーであれ、忙しく働く市場のビジネスマンであれ、ヨーガの最終目標である悟りを実現することができる。なぜなら、これこそ人間の本来あるべき自然な状態であるからだ。