ビーチボーイズのメンバーの一人、アル・ジャーディンは、1967年12月にバンド仲間と一緒に超越瞑想を学んだ。ビートルズのジョン・レノンとジョージ・ハリソンから、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー(超越瞑想の創始者)を紹介されたことがきっかけだった。
そのときのことを、彼はこう語っている。
「パリでコンサートを行ったとき、ビートルズとマハリシが客席の最前列に座っていてコンサートを楽しんでいた。その数時間後に、マハリシから超越瞑想を学んだんだ。それは素晴らしい出来事だった。」
アル・ジャーディンは1972年に、マハリシから直接指導を受けてTM教師となり、今でも1日2回の瞑想を続けている。2014年2月には、デヴィッド・リンチ財団を支援するためにチャリティーコンサートも行っている。
彼は、人生のなかで落し穴に落ちずに済んだのは、瞑想のおかげであることをテレビ番組「60minutes」のなかで以下のように話している。
──過去に、メンバーの何人かがドラッグにはまり、自己破壊的な状況に陥っていましたが、マイク・ラブ、ブルース・ジョンストン、アル・ジャーディンの三人は、ドラッグの代わりに超越瞑想を選択したそうですね。
アル・ジャーディン:超越瞑想は本当に助けになったね。瞑想のお陰でドラッグという否定的な波に押し流されることなく、その波の下を泳いで、肯定的な方向に進むことができたんだ。
──超越瞑想によって救われたということですか?
アル・ジャーディン:間違いなく、そうだよ。
また、「Record Collector magazine(2009年8月)」誌のなかでは、瞑想のおかげで音楽の才能が発揮できたことを語っている。
──あなたや他のバンドのメンバーにとって、超越瞑想はどんな効果がありましたか?
アル・ジャーディン:それは良いものだった。瞑想は、僕らをいくらか落ち着かせてくれたんだ。デニスは決して瞑想しなかったけどね。僕らを瞑想へと向けさせたのは、実はブライアンだった。そしてマイクは、それに夢中になったのさ。ブライアンとマイクは二人とも、よく似た不安定な感情をもっているから、瞑想はちょうど彼の薬だったんだと思う。さもないと、ついドラッグに手を出してしまうからね。瞑想はちょうど、ドラッグの代用品のようなものだった。
──あなたはいつ、作曲家としての才能に目覚めたのですか?
アル・ジャーディン:僕は自分が作曲家として才能があるなんて思ったことはない。ただ瞑想しているときに、いくつかいい歌ができただけさ。そのためには、少し自分の声を静かにして、自分の内側の中心に留まる必要がある。そうすると、自分でも驚くようなことができるのさ。カリフォルニア・サーガ(1973年のアルバム「オランダ」の中でアルが作った曲)は、そのいい例だね。あの頃は、素晴らしい時代だった。