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【瞑想を学んで気づいたこと】心の中に、広く静かな場所が用意されていた

高校時代からの友人で2014年から音楽活動を始めた「白いベランダ」の山﨑悠風也さんと聖子さんに音楽と瞑想の体験について伺いました。

白いベランダのお二人

昨年、活動初期に制作した楽曲を中心にリアレンジした初めてのアルバム「風の匂い」をリリース。その二カ月後にTM(超越瞑想)を学んだことをきっかけにTMオンライン・イベントで演奏を披露しました。

そんなお二人から、瞑想を始めたきっかけや曲作りについて聞いたインタビュー記事です。

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心の中にある広く静かな場所

Photo by Snapwire from StockSnap

──瞑想を始めようとしたきっかけは何でしたか?

悠風也さん元ビートルズのポール・マッカートニーが超越瞑想について話しているビデオを見て、彼の人生にとって、また音楽にとって、瞑想がいい意味を持つものだったというのが伝わってきました。僕にとってビートルズは聴いていて幸せだと思うバンドの一つだったので、自分も試してみたいなと思ったのです。

──瞑想することに、もともと興味があったのですか?

悠風也さん:瞑想が脳の状態を整えるという認識は前からありました。呼吸瞑想法などを調べて試したりしていましたが、あまりうまくいかなったです。

──実際に体験してみて、どうでした?

悠風也さん:このように実践すればいいのか、ということがわかって嬉しかったです。自分の心の中に広く静かな場所が用意されていることを感じ、それは心地のいい体験でした。

──日常生活で変化はありましたか?

悠風也さん:僕は幸福について考えるとき、未来に視点を置くことが多かったのですが、瞑想を始めてからは未来に何かを達成するのではなく、 今やここに自分を置き、それを楽しむことが重要だと考えることが増えました。

──聖子さんは?

聖子さん:最近、屋外でのお仕事を始めたのですが、忙しかったり緊張している時でも、自然のある風景に触れると、静かで落ち着いた気持ちになることがあります。もともと風景を見ているのは好きだったのですが、風景に触れることでそのような落ち着きを感じるのは瞑想を始めてからの変化だと思います。

深く潜って、すべての音は鳴り止む

──歌詞やメロディーどのようにして作られるのですか?

悠風也さん:歌詞もメロディも僕がアイデアを出す比率が高いですが、ほとんどは聖子と話し合って作っています。僕一人で作ったら、おそらくもっと雑然としたものになってしまうと思います。

──今回、「睡蓮」「辿り着く浜辺」「まばたき」の3曲を演奏していただきましたが、どの歌詞も、瞑想の体験に共通しているように感じました。それぞれの曲は、どのように生まれたのですか?

悠風也さん:もともと海や草木のある場所がすきで聖子とよく遊びにいくのですが、そのような場所で自分が受け取った感覚をギターで表現しようとすることが多いです。曲は部屋でギターを弾いて、ああでもないこうでもない、といいながら作るのですが、インスピレーションがあるとしたら、自分達が歩いた自然の中にそれが多く含まれているように思います。

──最初の曲「睡蓮」の「深く潜って、すべての音は鳴り止む」という歌詞は、瞑想で体験される静寂を歌にしたような曲ですが、以前から、そのような体験があったのですか?

悠風也さん:小学生のころ時々不思議な夢を見ることがありました。その夢の中の一つで、美しい庭園を歩いたことがあります。「睡蓮」はその庭園から着想を得て作っています。心の中というのは、自分の内側に潜り込んでいったところにあるのではないかと思い、そのような歌詞を書きました。

──瞑想中に「すべての音は鳴り止む」ような静寂を感じることはありますか?

悠風也さん:はい、あります。美しい夢を意識的にもう一度見ることは出来ませんが、瞑想は僕にとって、心を穏やかにすることと夢を見ることを足して二で割ったような感覚があります。

──二曲目の「辿り着く浜辺」の「沖を吹き渡る風 潮騒の匂いの風景 隠れているのは誰? 手を取って連れて行って」という歌詞が、とても美しくて心に響くのですが、悠風也さんにとって、隠れている人とは、どのような存在なのですか?

悠風也さん:そこに書いたのは、自分が今いる場所から見える遠くの風景です。僕はその風景の中に遊びに行きたいと思っていて、それを助けてくれる誰かが、そこに隠れていると思います。それは未来の自分かもしれないし、パートナーや友だち、本や映画の登場人物かもしれません。誰か一人、まだ会ったことのない大切な友だちが隠れている、というような感覚です。

傷の深さと同じレベルの救いを自分に与えること

──三曲目の「またばき」の「もうすぐ街に朝が来て横切る世界を見送るけど、傷と同じ深さの救いが近くにあるのを感じている」という歌詞は、どのような思いで書かれたのですか?

悠風也さん:夜明け前に穏やかな静けさがあり、それがまた日常にかき消されていく、という感じを描きました。僕はそこで傷つきながら暮らしていますが、傷を負ったことがないと、その癒し方もわからないという部分もあるのではないか、自分が傷ついたとき、その傷と向き合って癒していくことで、他の誰かを癒すための力を自分は得られるのではないか、という希望を書きました。傷の深さと同じレベルの救いを自分に与えること、そのために尽力することが、自分の人生の課題として近くに迫ってきているのかなと感じています。

──お二人が奏でるメロディと歌には、瞑想中に体験するような静けさと安らぎを感じます。これからも、私たちの心を癒やしてくれる素敵な曲をたくさん作ってくださいね。今日は、どうもありがとうございました。

「睡蓮」「辿り着く浜辺」「またばき」の3曲

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